麻雀博物館(2)

「東西南北白發中」の変形牌。

この他にも、まだまだ、たくさんあった。要は、7文字の熟語になっていれば、何でもOK。

「北京善後会議」って、私は知らないんだけど、政治的な大会だったらしい。このシリーズの花牌は、政治スローガンになっていた。

他、

○1930年、中国で作られた、「爆弾を落とす攻撃機」「高射砲」の牌。
○「男女平等」「文明結婚」牌。
○筒子が「ボール」、索子が「バット」の野球牌。

等が展示されていた。(一見の価値あり!)

索子(ソーズ)の謎。

一索(ソウ)は日本では孔雀の絵柄だが、最初は「青虫夫(チンフー)」すなわち、かげろうだった。このかげろうという虫、中国ではお金の象徴で、索子の形も本来は「竹」ではなく、真ん中に穴の開いたお金をたばねた筒状の貨幣の意味、だった。

←しかし、この形がどうして、かげろう(羽虫)なわけ?

○東南アジアでは一索は、オウムの絵。
○中国でも華北では、
クジャク、オナガドリだが、華中では、燕または小鳥
この索子、「寿」の吉祥文字だそう。要するに、縁起物。
こっちの索子は、笹の葉型。

・・・・麻雀牌といっても、いろいろあります。

黄金の麻雀牌。

清の高官が所有していたらしい。

他、銀、銅、アルミ、螺鈿細工製のものも展示されていた。

べトナム戦争で捕虜になったフランス兵手作りの麻雀牌。漢字がうろ覚えで文字盤がめちゃくちゃ。

「發」は米印のお化け、「萬」は横棒に&。

こんなものを作ってまでも麻雀やりたかったのね。。。

偏光眼鏡で見ると、裏に文字の浮き出す不正牌。偏光コンタクトレンズもあったらしいが、こうなると、知らなければ、不正を見破るのはまず無理。

他、雑学いろいろ・・・。

【日本の麻雀の歴史】

○日本人で最初に麻雀牌を見た、という記述のあるのは、夏目漱石。明治42年(1910年)に大連で見た、と小説に書いてある。

○麻雀牌を最初に日本に持ち帰ったのは、名川彦作という、漱石の知人。

○菊池寛は、日本麻雀連盟(昭和4年〜)の初代総裁であるが、麻雀で形勢が不利になると無口になったため、「くちきかん」と言ってからかわれた。

○日本で最初の雀荘は、銀座に平山三郎が作った「南山荘」。震災後のレジャーとして。昭和2年(1927年)のことだが、これが大繁盛したため、2年後の昭和4年には1700軒に増加。これが第一次麻雀ブーム。文芸春秋社が牌を大量生産。

○戦時中、娯楽の抑制された時代、平山氏の活躍で、麻雀は健全娯楽として認められた。

○というわけで、戦時中も麻雀はさかんに行われたらしく、インパール作戦で負傷し、シンガポールの病院に入院した兵士の作った麻雀牌や、巣鴨プリズンの受刑者が作った手作りの麻雀牌が展示されていた。

○戦後、昭和30年代に第二ブーム。「リーチ」「ドラ」はこの時に作られたルール。

【西洋の麻雀の歴史】

○アメリカでは、1922年、禁酒法時代に麻雀ブーム。ブロードウェイで「MAJONG」という作品が上演された記録がある。

○イギリスでも、1923年頃、ブーム。アガサ・クリスティの作品に「麻雀の夕べ」というのがある。

○19世紀末、ウィーン万博後のジャポニスムブームで、浮世絵牌が作られた。索子は「柳?」、万子は「北斎」等、浮世絵のハンコ柄。

○カナダ牌の「東南西北」は、「富士山バックの弁髪の人物」「ヤリを持つ南洋の土人」「西部原住民(インディアン)」「極地探検隊」。今、こんなもの出したら、人種差別だと言われてブーイングの嵐。

他、ここに書ききれないくらい、麻雀に関する、ありとあらゆるものが展示されていた。

説明も非常に丁寧で、誰が読んでもよくわかる仕組み。

今まで一度でも麻雀をしたことのある人なら、必ず楽しめると思う。特に、好奇心旺盛な方にはオススメ。

売店で、「役満煎餅」を売っていたけれど、20枚700円と割高なので、麻雀雑学の本だけ買って帰った。

【番外】

麻雀牌の中には、通称で呼ばれているものがある。

「大砲」「鉄砲」

「エム」

「イソッコ」「イソコ」

これは、関西の方言なんでしょうか?

関西以外の方は、どう呼んでいるんでしょうか?

「犬のケツ」と、父が呼んでいました。
←本物の犬のケツ。似てる?

ちなみに、広島&愛媛で麻雀を覚えたKさんの話では、この牌を「マ××」(←放送禁止用語)と呼んでいたそうです。。。

この他に、「(×××の)輪切り」とも呼ばれるらしい。

なんて、下品なの!(笑)

↑画材は「一向聴」さんのものをお借りしました。

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