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この他にも、まだまだ、たくさんあった。要は、7文字の熟語になっていれば、何でもOK。 |
![]() 「北京善後会議」って、私は知らないんだけど、政治的な大会だったらしい。このシリーズの花牌は、政治スローガンになっていた。 |
| ○1930年、中国で作られた、「爆弾を落とす攻撃機」「高射砲」の牌。 ○「男女平等」「文明結婚」牌。 ○筒子が「ボール」、索子が「バット」の野球牌。 |
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←しかし、この形がどうして、かげろう(羽虫)なわけ? |
| ○東南アジアでは一索は、オウムの絵。 ○中国でも華北では、クジャク、オナガドリだが、華中では、燕または小鳥。 |
この索子、「寿」の吉祥文字だそう。要するに、縁起物。 |
こっちの索子は、笹の葉型。 |
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清の高官が所有していたらしい。 他、銀、銅、アルミ、螺鈿細工製のものも展示されていた。 |
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「發」は米印のお化け、「萬」は横棒に&。 こんなものを作ってまでも麻雀やりたかったのね。。。 |
| 偏光眼鏡で見ると、裏に文字の浮き出す不正牌。偏光コンタクトレンズもあったらしいが、こうなると、知らなければ、不正を見破るのはまず無理。 |
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【日本の麻雀の歴史】 ○日本人で最初に麻雀牌を見た、という記述のあるのは、夏目漱石。明治42年(1910年)に大連で見た、と小説に書いてある。 ○麻雀牌を最初に日本に持ち帰ったのは、名川彦作という、漱石の知人。 ○菊池寛は、日本麻雀連盟(昭和4年〜)の初代総裁であるが、麻雀で形勢が不利になると無口になったため、「くちきかん」と言ってからかわれた。 ○日本で最初の雀荘は、銀座に平山三郎が作った「南山荘」。震災後のレジャーとして。昭和2年(1927年)のことだが、これが大繁盛したため、2年後の昭和4年には1700軒に増加。これが第一次麻雀ブーム。文芸春秋社が牌を大量生産。 ○戦時中、娯楽の抑制された時代、平山氏の活躍で、麻雀は健全娯楽として認められた。 ○というわけで、戦時中も麻雀はさかんに行われたらしく、インパール作戦で負傷し、シンガポールの病院に入院した兵士の作った麻雀牌や、巣鴨プリズンの受刑者が作った手作りの麻雀牌が展示されていた。 ○戦後、昭和30年代に第二ブーム。「リーチ」「ドラ」はこの時に作られたルール。 |
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【西洋の麻雀の歴史】 ○アメリカでは、1922年、禁酒法時代に麻雀ブーム。ブロードウェイで「MAJONG」という作品が上演された記録がある。 ○イギリスでも、1923年頃、ブーム。アガサ・クリスティの作品に「麻雀の夕べ」というのがある。 ○19世紀末、ウィーン万博後のジャポニスムブームで、浮世絵牌が作られた。索子は「柳?」、万子は「北斎」等、浮世絵のハンコ柄。 ○カナダ牌の「東南西北」は、「富士山バックの弁髪の人物」「ヤリを持つ南洋の土人」「西部原住民(インディアン)」「極地探検隊」。今、こんなもの出したら、人種差別だと言われてブーイングの嵐。 |
他、ここに書ききれないくらい、麻雀に関する、ありとあらゆるものが展示されていた。
説明も非常に丁寧で、誰が読んでもよくわかる仕組み。
今まで一度でも麻雀をしたことのある人なら、必ず楽しめると思う。特に、好奇心旺盛な方にはオススメ。
売店で、「役満煎餅」を売っていたけれど、20枚700円と割高なので、麻雀雑学の本だけ買って帰った。
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「大砲」「鉄砲」 | |
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「エム」 | |
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「イソッコ」「イソコ」 これは、関西の方言なんでしょうか? 関西以外の方は、どう呼んでいるんでしょうか? |
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「犬のケツ」と、父が呼んでいました。
ちなみに、広島&愛媛で麻雀を覚えたKさんの話では、この牌を「マ××」(←放送禁止用語)と呼んでいたそうです。。。 この他に、「(×××の)輪切り」とも呼ばれるらしい。 なんて、下品なの!(笑) |