浅草探訪(1)

掲示板に、北斗の会というところで、納豆アイスを出している」というカキコミがあり、調べてみたら、浅草に納豆アイスの店があることが判明した。

また、先日の静岡のひつまぶしの店に置いてあった新聞記事に、浅草でひつまぶしをやっている店のことが書いてあった。

ネタが二つたまったので、他の行きたいスポットもつけ加え、浅草探訪に行くことにした。

【太鼓館】

太鼓館は、宮本卯之助商店という店の4階にあるのだが、この店は祭用品専門店。太鼓の他、篠笛、当り鉦、足袋、法被、能面(18万円のものもあり!)、木製の大きなお宮(向拝宮、380万円!)、飾り獅子頭1対(20万円)等、祭りに関する商品が売られていた。これだけでも一見の価値があった。

300円払って、4Fの太鼓館に上がった。

入ると、木琴を叩きまくっている人がいた。実演ショーかと思ったら客だった。太鼓館では、展示物の大半のものは、触ったり、叩いたりすることができるのだ。というわけで、好奇心旺盛な私は、展示物をかたっぱしから鳴らして回った。

(撮影禁止だったので、写真はありません)

西アフリカの木琴・バラフォン、瓢箪に刻み目のついた摩擦楽器・ギロ(ペルー)、カバの鳴き声が出るカバ太鼓(ジンバブエ)、弦の締め方で音の高低が変わるウデッキ(スリランカ)等は、お触り自由。

韓国の宮廷儀式に使う太鼓、1930年代のアメリカの玩具のドラムセット、酒樽を頭上に載せた女の形をしたコートジボアールの太鼓、ナスカから出土した壷太鼓(1400年前のもの)等は、見るだけ。

チンドン太鼓は、実物の脇に詳しい由来が書かれていた。

チンドン屋の始まりは、1845(弘化2年)、大阪千日前のアメ売り。その後、大阪では、芝居の口上をまねて「トザイ東西・・・」とやったので、「東西屋」と呼ばれるようになった。東京では楽隊広告「広目屋」と呼ばれた。昭和初期にチンドン屋の名前が定着。昭和30年代にはパチンコ屋の宣伝として繁用された。

ここに書いたのは、ほんの一部。

雑学の勉強になった。
●太鼓館
台東区西浅草2-1-1 宮本卯之助商店 西浅草店ビル4F、03-3842-5622
月、火休、10〜17時、300円
太鼓館のHP

【うな鉄】

11時を過ぎたので、混まないうちに、と、うな鉄にお昼を食べに行くことにした。この店、土日は行列ができることがあるらしいのだ。

行ってみたら、店はまだすいていた。カウンター席に座り、ひつまぶし(1500円)を注文した。

「一杯目は、うなぎを崩してそのまま、二杯目は薬味のネギとワサビを入れて、三杯目は、汁を入れてお茶漬け状態で」というのは、愛知や静岡のひつまぶしと共通だが、この店で特筆すべきは、わさびを自分ですり下ろして入れること。面倒くさいが旨かった。
●うな鉄
台東区浅草1-43-7、03-3841-1360
月〜金 11時半〜22時半、土日祝 11時〜22時半
うな丼600円、うな重竹1000円、松1300円、特上2300円
かば焼き定食1600円、串焼き丼セット650円
うな鉄のHP

【ウルトラマン倶楽部】

うな鉄の隣の建物にあるウルトラマン倶楽部は、円谷プロ協賛の、ウルトラマングッズの販売と、握手会等のイベントをやる店だ。

入場無料のこの施設、150円のシールから弁当箱、文具、指人形、6000円の京本コレクションまで、商品の品揃えは充分。商品の中にウルトラマンの図鑑でもあれば・・・と思ったのだが、書籍は無かった(残念)。

ウルトラマン撮影会は子供に大人気だった。

←ウルトラマンコスモスの、コロナモード? 最近のウルトラマンは見ていないので詳しくない。

カウンターで、ウルトラマンどら焼きを売っていた。これは、須賀川(円谷一の生誕地)の玉木屋の製品で、5年ほど前、わざわざ須賀川まで買いに行ったものだ。

貼り紙を見ると、玉木屋とここ、福島空港、熊本県荒尾市のウルトラマンランドでしか売られていない限定品らしい。玉木屋以外で入手できるようになったと言っても、これは買いだ!

10個入りの箱(1200円)を買って帰った。中身はクリーム、あん、あんバターの三種。私はあんバターが一番好きだが、家族にはクリームが人気だった。

●ウルトラマン倶楽部
台東区浅草1-25-15 浅草ROX4F、03-3847-5082
不定休、10時半〜19時、無料
ウルトラマン倶楽部のHP

【浅草寺前の店で】

「デニムさむ衣」を着ていたマネキン。

デニムさむ衣は売り物です。

表情と衣装がミスマッチ・・・(笑)

【浅草寺】

境内には慰霊碑や、彫刻がたくさんあった。

鎮護堂

別名おたぬきさま。浅草寺境内のたぬきの乱行を鎮めるため、明治五年に建立。

母子地蔵

97年4月、敗戦時の混乱期、満州で命を落とした母子の鎮魂のために建立された。

子供を抱く親の形の像で、ジャケットが着せられていた。

映画弁士塚--昭和33年。徳川夢声他、往年の弁士の名前がたくさん彫られていた。
○浅草観光事業功労者の碑
○浅草観光事業讃緒の碑 昭和43年
○喜劇人の碑--ミヤコ蝶々(平成12年没)、古川ロッパ(昭和36年)、有島一郎(昭和62年)、渥美清(平成8年)、三木のり平(平成11年)、三波伸介(昭和57年)等の名前が彫られていた。

「群盲撫象 金子洋文」「私は貝になりたい フランキー堺」等の文字が彫られた碑
意味ありげな絵や文句がたくさん書かれていたが、一部、風化して文字が不鮮明に。古すぎるネタなので、何だかよくわからなかった。
西武園の「アイドル共和国」みたいな、当時の映画スターを集めた碑か?

ナントカ先生顕彰碑
たくさんあったが、文字もわかりづらいし、先生の名前も知らない人ばかりだし、解説看板も無いし・・・。昔は偉い人だったんじゃないかと思うが、歴史に名前が残らないと忘れられちゃうんですね。

○石に浮き彫りされた観音様
○板碑--梵字の彫られた卒塔婆みたいなもの。埼玉にはたくさんあるが、東京では比較的珍しい。鎌倉期〜室町期にかけてのものらしい。

○子規の歌碑
朝倉文夫「讃慈雲の碑」--昭和40年。噴水塔完成を祝って作られた像らしいが、噴水は今は無く、像だけが植え込みの中に残っていた。

この他にもまだ、碑や仏像があった。

碑巡りだけで、HPの一項目できちゃいそうな寺だった。

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