復元されたロケット戦闘機・秋水
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岡野さんが秋水の説明を始めた。

秋水は、ドイツのロケット戦闘機Me163コメートを元にして作られた。日本では過給機が作れず、1万メートル上空を飛ぶB29に手も足も出なかった頃、ドイツでは、コメートが高空を飛ぶ敵爆撃機の撃墜に活躍していたのだ。3分半で1万メートルに達し、時速900キロで爆撃機を一撃。5分でガス欠となり、後は滑空して降りてくるという戦法。エンジン稼働時、当時の戦闘機では追いつけず、あまりの速さに爆撃機の機銃も当たらなかったとか。
もっとも、コメートは、過酸化水素&ヒドラジンという危険な薬品を燃料にしていたため、事故があいついだ。また、射撃のチャンスが一回しかなく、滑空時は、敵戦闘機のいいカモ。撃墜戦果を考えてもけっしてコストパフォーマンスのいい機体とはいえなかったのだが・・・。日独技術協定を結んでいた日本は、酸素魚雷の技術と交換で、コメートに関する技術を入手しようとした。しかし、ドイツから送られた情報は、潜水艦2隻とともに撃沈され、一部、シンガポールから飛行機で持ち出された文書のみが日本に届いたにすぎなかった。不十分な文書を元に、技術陣は頑張り、11カ月という短期間で秋水を完成させた。日本の軍用機は普通、陸軍、海軍が独立して開発するが、秋水に関しては、陸海が共同して開発に参加したという意味でも画期的だった。
第一回目の試験飛行は20年7月7日に追浜で行われた。エンジンの点火には成功したが、飛び立ってすぐにエンスト、滑空して降りてくる途中、機体が建物にひっかかり、墜落。操縦していた犬塚大尉は、翌日早朝に亡くなった。例の秋水隊の男性は、追浜での試験の時、離陸距離をストップウォッチを使って測る係をしており、犬塚大尉を破損した機体から出すのにも立ち会ったそうだ。重症を負った大尉は「(不時着場所を誤り、大切な機体を壊してしまって)申し訳ない」と言っていたとか(哀)。ちなみに、エンストの原因は、あまりの加速度と上昇角度のため、タンク内の燃料が偏り、吸入口部分に燃料がなくなってしまったのが原因だった。この後、終戦になってしまったため、二回目のテスト飛行は行われなかった。もし、戦争が続行され、充分な資材と生産力があったら、数千機の秋水を生産する計画があったそうだ。

これが復元された秋水。

寸詰まりの胴体に対して、主翼は長い。

実は、秋水の翼は木製。ジュラルミン節約が目的?

この秋水は、終戦時、横須賀にあったものを進駐軍による接収を恐れて埋めて隠し、昭和37年に追浜モータープールから出土したもの。航空自衛隊の補給所に平成9年まで、胴体の骨組みのみのボロボロの状態で保管されていたものをひきとって、2年かけて復元、平成12年暮れにお披露目したそうだ。

組み上げる時に出た使えない部品が展示されていた。

写真下側に写っているのは着陸用のソリ。

正面から。

車輪のすぐ上の丸い穴は、牽引用のフックをひっかける場所らしい。

離陸用の車輪(離陸後、投棄)と、着陸用のソリも忠実に再現されていた。
左右主翼付け根の30ミリ機関砲も再現。ただし、ハリボテ。
看板直上の長い棒は、速度計測用のピトー管。
機体横側から。

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