三浦半島のその他の軍事遺跡

【第一海堡、第二海堡】

海堡は明治時代、軍が東京湾防衛のため、横須賀〜富津岬を結ぶ線上に設けた人工島である。第三海堡は、航行に危険だということで、近年撤去された。

観音崎京急ホテル付近から。左が第二海堡、右が第一海堡。

大楠山から。猿島の先にある第二海堡に人工物が建っているのがわかる。灯台か?

右手の第一海堡の先の陸地は、富津岬。

第二海堡に関しては、野島公園の近くから釣り客を運ぶ定期船が出ているそうなので、上陸は容易らしい(2005年6月のレポ。これ以降、上陸禁止になった)が、第一海堡に上陸するには、小さなエンジン付きの船を借りるしかないようだ。しかも、この付近、海流が複雑で、流れが速いため、接岸、操船には経験も必要らしい。現在、上陸手段、検討中・・・。(お金さえかければ、なんとかなるが、安上がりにこしたことはないので。)

その後、このページを見た方からコメントがありました。「第一海堡は千葉財務事務所による立入禁止看板が立っていて、許可無く上陸出来ないようです」とのことです。

どうもありがとうございました。

【城ヶ島】

城ヶ島の東端の公園に、昔、高射砲があったときいたので、見に行ってきた。

そうしたら、公園の中にこんな休憩スペースが!

丸い形の休憩スペースはもう一カ所あった。

これって砲台跡か?

情報がないので断定できないのだが・・・。

城ヶ島公園には、野良猫が多数徘徊していた。

この猫の耳には、赤青のピアスが取り付けられているが、「去勢ずみ」という意味だ、とのこと(横浜在住の友人・談)。

城ヶ島の砲台に関して、あるサイトに、建設に携わった方の手記が掲載されていた。それによると、深さ6m、底辺7mの砲台が2基作られることになった。昼夜兼行の突貫工事が続いたが、高射砲据え付けの前日に戦争が終わってしまい、関係者一同愕然としたそうだ。

城ヶ島の2005年のレポはこちら

【衣笠山】

ここの公園には、石碑が多数あった。

「忠犬タマ犬の碑」

新潟県中蒲原郡村松町(旧川内村)の刈田吉太郎氏の愛犬・タマ公は、昭和9年2月5日、昭和11年1月10日の二度にわたって、狩猟で雪崩に巻き込まれた主人を救った。この美談は、新潟新聞で報道されたり、「忠犬タマ公を語る座談会」というラジオ番組で流され、有名になった。横須賀市に在住する新潟出身の退役海軍将兵互立会の者が、タマ公が寝起きしていた場所の土をもらいうけ、昭和11年9月23日に、衣笠公園裏道の入り口付近に碑を建てた。昭和58年9月に今の場所に移築されたそうだ。

タマ公が、横須賀に関係のある犬なら、石碑建立の事情もわからないでもないが、「寝起きしていた場所」の土を持ってきたのが建立のきっかけだとは・・・(哀)。

「忠功軍徳」と書かれた碑。大正3年。

「西田明財君の碑」

巨大な石柱!大正10年。文章が書いてあったが、読む気にならず。こんな大きな碑をたててもらうなんて、どんな業績を残した人なんだろう? とっても有名な人かもよ?

検索したら、このサイトに、「西田明財氏は陸軍工平少佐で、海堡の設計、施工に携わった。海堡建設の最大の功労者。明治39年(1906年)に80歳で海堡の竣工を見ずして亡くなった。この碑は海堡を望む衣笠山に大正12年(1923年)に建てられた」と書かれていた。

山頂には、二階建ての展望台があった。ここが砲台のあった場所かもしれないな・・・と思いながら、写真を撮った。近くにいた年輩の人に、砲台についてきいてみたが、知らなかった。

展望台の基部が円形なのが気になる・・・。

展望台の基部に、「三浦郡奨兵義会 建碑発起人」のリストが彫られていた。これは何?碑なんて無いよ?と思い、帰りに、「衣笠公園の由来」について書かれた看板を見たら、日露戦争(明治37年、1904年)で亡くなった三浦半島出身の兵士を慰霊するため、頂上に「芳名不朽」の記念塔が造られたそうだ。どうやらこれの発起人のことらしい。

日露戦争の記念塔なんて、展望台を作るために軽い気持ちで撤去するとは思えないし・・・やはり、記念塔→展望台の間に、砲台があったのかなぁ?? 求む情報。

昔、現地に住んでいたという方から情報をいただきました。

衣笠山の展望台の話しの中で砲台の話が載っていましたが、
衣笠の砲台は、衣笠山の上ではありません。
現在の衣笠中学の前の道を大楠山に向かって
ずっと入っていった左手の山の上にあります。
昭和40年代当時でもほとんど藪に覆われた状態で、
子供心に怖かった思い出があります。
現在の地図で見ると、万葉公園から南西にある山の上ぐらい
だった様な印象です。
果たして今も残っているのかは分かりませんが・・・

とのことです。どうもありがとうございましたm(_ _)m

ということで、05年2月に取材に行ってきた。その顛末

衣笠山山頂から見た「おっぱい山」。送電線用の鉄塔を建てるため、削り残した部分がこんな形になってしまったようだ。

【相州二子山】

二子山は、上の山、下の山と二つの峰からなる。

時間短縮のため、山の中腹にある南郷公園からの登り始めた。駐車場のすぐ脇にから上の山山頂まで車道(途中からダート)がついているようだが、チェーンゲートが閉まっており、一般車の通行は規制されていた。登り始めて20分で上の山山頂に到着。

山頂から一段下がった所に無線中継塔があり、山頂には木製の小さな展望台があった。そして、展望台の脇には、直径10mほどの土塁と窪地が。ここが砲台跡なんだろうか? 説明板は立っていないけれど、見れば見るほど不自然な凹凸である。

さらに徒歩15分で下の山。尾根歩きだが、勾配が急なため足が滑りそうで大変だった。自動車での通行はもちろん無理。こちらは山頂に木が茂って広場といえるような場所はない。砲台があったのは、少なくとも下の山ではない。

【葉山の「砲台山」】

あるサイトに、「葉山にも高射砲があった」と掲載されていたので、探しに行くことにした。

葉山には山がたくさんあるし、砲台のあった山は、サイトの地図ではだいたいの場所(長者ケ崎の裏手)しかわからないのだが、県別マップルで調べてみると、その位置に山頂まで車道のついている山があった。砲台の建設には、資材運搬用の道路が不可欠だから、おそらく、ここのことだ。

R134を南下し、子産石BSの脇を左折してどんどん登っていった。途中、トラックで作業中の年輩の農家の方がいたので、きいてみたら、当たり!「この先、突き当たって左に行くと、砲台のあった山だ。今では航空用レーダーがあって入れないけれど」とのことだった。

そこで、施設突き当たりのゲートまで行って、写真を撮った。ゲートの位置からは砲台跡は見えない。敷地に入れなくて本当に残念だ。

【三浦霊園南側の砲台跡】

県別マップルに、「砲台跡」が掲載されているので、現地でキキコミしてみたら、最近、取り壊されて畑になってしまったそうだ。残念。

【畠山】

ここにも高射砲があった、と某サイトに載っていたので、行ってみたが・・・。

県道27号の不動橋BSへ。そこから、山奥に向けてバイクを走らせた。500mほどで登山口を発見し、その近くの路肩にバイクを停め、登山開始。いきなり切り通しの急坂、次が竹藪樹林帯で、最初はなかなか味のあるルートだった。しかし、人通りが少ないようで、荒れ気味だった。道幅は人一人がやっと通れるだけ、倒木を越えたり、くぐったり、藪こぎしたり(冬なのにヤブコギ!)、けっこうハードだった。20〜25分歩いて、山頂に着いた。「畠山」の道標は無かったが、まぎらわしい分岐もなかったし、近くにピークらしきものは見あたらないので、ここが畠山の山頂であることは間違いないと思われる。この山頂、木が生い茂っていて、広場らしいものもなく、どうみても、砲台が設置されていたとは思えない。某サイトの「畠山の砲台」って、少なくともここにはなかったようだ。

【三浦半島の軍事遺跡探索を終えて】

荒崎、田浦等、時間が無くて回れなかった場所もあるが、三浦半島が軍事遺跡だらけだということがわかった。

道路も建物も砲台も、そこで働く兵隊さんの賃金も全部税金から・・・。「戦争は金がかかる」ということを、実感できる探索行だった。

そして、これらの遺跡、猿島や観音崎を除いて、案内看板がなかった。お役所にとって、太平洋戦争って、忘れてしまいたい黒歴史なんだろうか?