観音崎の軍事遺跡(3)

【北門第一砲台】

明治13年起工、17年完成、大正2年廃止。早く廃止されたため、「おんぼ砲台」と呼ばれたそうだ。24加砲2門。

2つの砲台跡と砲台をつなぐレンガのトンネルが残っていた。

4つの砲台跡のうち、一番保存状態がよい。

見事なフランス積みだ。

砲台跡の他にも、観音崎公園にはいろいろ見所があった。

観音埼灯台。

一代目の灯台は明治2年、2代目は竣工時期は不明だが、関東大震災で壊れ、3代目(現在の灯台)は大正14年に竣工。今回は入館しなかった。

ネットで調べたら、ウルトラセブン(「ダン対セブンの決闘」サロメ星人とニセウルトラセブンが出てくる話)のロケがここで行われたそうだ。

行き止まりの切り通し。

これも、軍が製作?

廃墟同然の観音崎レストハウス。観光遺跡。

自由に入れるが、中は片づけられて空き家になっていた。廃墟マニアが見ても面白い物件ではないだろう。

しかし、こんな建物があるってことは、観音崎が多くの観光客でにぎわっていた時期もあるんだろうなぁ。

【謎の海上トーチカ】

遠方からはこんな感じに見えるのだが、自衛隊の敷地の中にあるため、近寄れなかった。左の画像に見える、四角い鉄枠の正体、何?

掲示板である方から教わったサイトによると「戦争中、アメリカの潜水艦が東京湾に入ることを防ぐため、ここでスクリューの音を聞くために 造られた」施設→水中聴音機関係の施設だそうだ。

【関連】対岸の房総半島にある、水中聴音機関係の施設ではないか、と推測されている遺構

小雨の降る中、2時間かけて、施設を見て回った。これでも、まだ行ってない所が1/3くらいある。

観音崎公園って、広い・・・。

そして、観音崎は公園エリア以外にも軍事遺跡がある。

【走水低砲台】

京急ホテルの脇を通り抜け、横須賀市街地に向かって走っていると、海沿いにあやしい公園が。慌ててUターンし、見に行ったら、ここも砲台跡だった。

看板には「旗山崎台場跡」と書いてある。天保14年に幕府が砲台を設置したのが最初で、その後、明治政府により、走水低砲台が設けられたらしい。

砲台の遺構は残っているようだが、フェンスで立ち入り禁止になっていて、山に登ることができず、目視できなかった。これじゃ、なんのための遺構かわからないよ〜。横須賀市の方、何とかしてください。

【駆逐艦・村雨の慰霊碑】

浦賀から観音崎に移動中、「駆逐艦 村雨」と書いた柱を発見したので、近くの路肩にバイクを停めた。何事かと思ったら、海辺に昭和18年3月5日に「コロンバン カラ島クラ湾」の夜戦で沈没した村雨の慰霊碑が建っているのだった。

「大東亜戦争に於いて 純粋に日本のために青春を捧げて 戦没した戦友を偲び 祖国愛と 平和への願いをこめて この慰霊碑を建立する 昭和57年3月5日 村雨会会長 鹿山誉」

その脇に119名の犠牲者の氏名が書かれていた。慰霊碑設立の趣旨はわかったが、どうしてここに村雨が? 他にも沈没した駆逐艦はあるだろうに? 謎。

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