目黒の寺巡り(1)

私の掲示板で、耶馬渓等の五百羅漢の話が出、調べてみたら、東京にも五百羅漢があることに気がついた。これが今回の目黒寺巡りのきっかけである。

【大鳥神社】

←ここの狛犬は子連れ。

他、変な形のオオアカガシの古木、本殿の柱に書かれた「江戸消防八二団」の文字。

【大聖院】

切支丹燈籠。

もと、三田にあったものが大正15年ここに移転した。変形T字クルス(右画像)とキリスト像が刻まれている。燈籠といっても明かりをともすためのものではなく、庭園に置いて、こっそり礼拝するのに使ったらしい。

【蟠龍寺(ばんりゅうじ)】

おしろい地蔵。

顔の崩れた地蔵の唇が赤く塗られている。何だ?と思って調べたら、あるサイトに、この地蔵は、おしろいに含まれる毒物で亡くなった歌舞伎役者を供養するために建立されたものだと書かれていた。そして、現在は、美肌とか、顔の怪我が治る等の御利益があるといわれているらしい。

他にこのお寺には岩屋弁財天がある。

【海福寺】

文化4年永代橋崩落横死者供養塔および石碑

文化4年(1807年)8月の江戸深川富岡八幡宮の祭礼で、多数の人が永代橋に乗ったため、橋が崩壊し、大量の溺死者が出た(一説によると440名)。供養塔および石碑は、百日忌、五十回忌、七十七回忌、九十一回忌のさい、深川にあった海福寺境内に建立された。

どうして目黒にこんなものがあるのかと思ったら、海福寺が明治43年(1910年)、現在地に移転したためだった。

【天恩山五百羅漢寺】

他の寺は全て無料だったが、この五百羅漢寺は、拝観料(300円)を取る。どうして?と思ったら、この寺、いったん没落して荒れ果てていたのを、大枚はたいて再建したかららしい。

五百羅漢を彫ったのが、松雲禅師(1648〜1710)という人で、そのきっかけになったのが、諸国放浪中に見た耶馬渓の五百羅漢だそうだ。15年間で536体もの羅漢を彫り上げたことが認められ、寺の用地をもらい、元禄8年(1695年)に本所に羅漢寺が作られた。徳川将軍綱吉や吉宗の援助を得たこの寺は大いに栄え、「本所のらかんさん」として親しまれ、さざい堂もあり、広重の浮世絵に描かれるほど有名だった。しかし、その後、この寺は没落し、明治41年にこの地に移ってきた。移転後も、台風(大正6年、昭和24年のキティ台風)や関東大震災で本堂が壊れる等の被害を受け、羅漢像は雨をかぶることもあったらしい。日高宗敏という人が、昭和56年に現在のお堂を完成させて、由緒ある羅漢像を守ったということだ。現在、この羅漢像は、東京都の重要文化財に指定されている。

で、パンフ見て、あれ?と思ったのだが、この寺、目黒霊廟という名前で、新聞にたびたび広告を出している・・・。お寺の経営も大変なんだな。

五百羅漢寺の公式サイト

羅漢堂内の羅漢像には、それぞれ、格言を書いた紙が貼られていた。
「善意は報酬を求めない 善意尊者」「まわりに左右されず信念を貫く 堅持三字尊者」「仕事にうちこむ美しい顔 勇精進尊者」「自分が笑えば相手も笑う 頂生尊尊者」等。羅漢さんの顔は、どれもこれもまじめ系だが、たま〜に笑っているのがあった。

なお、この羅漢さん、昔は金箔が塗られていたようだが、現在はほとんど脱落し、痕跡程度になっていた。本堂に安置された羅漢様の中には、腕の取れているものもあった。

ここの羅漢堂と本堂内は撮影禁止。というわけで、画像は出せません。

私の個人的な感想だが、ここの羅漢さんは、五百羅漢の中では単調でつまらない方だと感じた。

五百羅漢以外にも、この寺にはいろいろ見所があった。

三猿の絵が描かれた庚申塔

文字だけの庚申塔はよく見るが、これは珍しい。珍品かと思って調べたら、この形の庚申塔もよくあるようだ。

庖魂碑

魚の形をした碑。魚鳥供養のため、協和調理師会有志が建立したものらしい。碑の内部に調理師界の元老・故原勇蔵氏が愛用していた庖丁が納められているらしい。

興安友愛の碑

中国国境の興安蒙古で、第二次世界大戦の混乱の中、亡くなられた開拓者の霊をなぐさめるために建立された。

原爆殉難碑

広島の原爆で全滅した移動劇団「櫻隊」をしのんで、徳川夢声らによって、昭和27年に建立されたもの。どういう縁でこの寺が石碑の設置場所に選ばれたのか不明だが、聖宝殿内に、仲みどり、丸山定夫、園井恵子の資料が展示してあった。

【目黒不動】

平安時代に開かれた古刹。

「犬」の形をした狛犬。

子犬を連れているものもあった。

立派な狛犬。
上の狛犬に比べると地味で目立たない古い狛犬だが、実はこの狛犬、都内最古のものらしい。(画像撮っておいてよかった・・・。)

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