戦争博物館(4)

軍服マネキン。この他にも軍服コレクション多数。

慰問袋の中身。

戦勝ゼリーって、ゼラチンの粉か?

戦勝豆ってどんな豆?
「台湾軍御買上」と書かれているので、この製品の絵柄は日本人と台湾人を模したものと思われる。(当時、台湾は日本の領土)

慰問袋は有名だが、奉公袋って?

ネットで調べたら、出征兵士が軍隊に出向く時、軍隊手帳、召集令状、勲章・印章その他必要なもの等、軍隊生活に必要なものを収納しておくための袋だそうだ。

ところが、戦争博物館で私が取ったメモを見ると、「中身は封書、切手、葉書、遺髪、遺爪、行動予定、遺言書・・・。(空襲が激しくなった時期の持ち出し袋?)」と書かれていた。

どっちが正しいんだ?

吉田松陰、西郷隆盛、乃木将軍、山県有朋、木戸孝允、大久保利通、桂小五郎、東郷平八郎、山本五十六、明治天皇、昭憲皇太后、昭和天皇の書など歴史上の偉人の書、大量展示

どうやってこんなもの集めたんだろう?(驚)

「のらくろ」の作者・田川水泡のサイン。

「のらくろ」も戦争ネタのマンガだが、太平洋戦争開戦前の昭和16年10月に休載になっている。のらくろが除隊し、大陸に渡り、スパイに狙われるという話だったが、終わり方が唐突。軍部から「戦争をおちょくるな」ということで、圧力がかかったので、続けられなくなったという話だ。私は読んだことがないが、戦後、「のらくろ」の漫画は再開し、彼が喫茶店を開くところで終わっているとか。

雅子様の小学校二年生の時に書かれた作文も展示されていた。

これは戦争に関係ないと思う。

しっかし、どうやってこんなものを入手したのか?コレクターおそるべし。

誤報!

新聞の縮刷版(昭和20年9月15日)だが、「前首相東條大将は自殺死亡す」と書かれている。本当は未遂で終わった。

現在なら、書いた人の首が飛びかねない事態だが、当時はどうだったんだろうね?

個人で集めたとは信じがたい大量の資料群!量にも内容にも脱帽しました〜。

個人で戦争資料を集めた博物館としては、熱海の「風雲文庫」があるが、こちらは、英雄崇拝志向で、ヒトラー等が礼賛されており、かなり偏った印象を受けた。那須の戦争博物館は、館長の政治的スローガンは少な目で、坦々と展示資料が並べてあるという感じだったが、場内で流されているビデオを見たら、

○満州事変の引き金となった柳条溝事件は、関東軍の策謀だというのが定説になっているが、それは、占領軍がねつ造した嘘。実際はあくまでも中国軍の仕業である。

○盧溝橋事件も中国軍の策謀である。この時も日本軍は、不拡大政策を取ったが、中国軍に挑発されて、やむをえず、戦線拡大したのだ。
(定説では、盧溝橋事件は、中国軍の偶発的な発砲トラブルが引き金。関東軍を仕切っていた石原完爾は、不拡大方針を取ろうとしたが、周囲の軍人に押し切られて、日本軍としては戦線を拡大する方向に動いた、ということになっているようです)

○南京大虐殺はでっち上げ。あんなにたくさん日本軍が人を殺せる筈はない。

という内容だった。ん〜、ここも右寄りか〜。まぁ、教科書になっているような定説も、言われてみると、私たちが自分で調べたわけじゃなくて、偉い先生方の受け売りなんですけどね。

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