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ところで、このタイプのお墓、小豆島にもあったのだが、関西独特のものなんだろうか?詳しい方、教えていただけると助かります。 |
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処刑された戦犯の慰霊碑。隣に極東、東南アジアの地図があった。 |
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昭和33年1月26日、南海汽船紀阿航路の定期旅客船「南海丸」が、小松島を出航後、大荒れの淡路島南東沖で消息を断った。警察・海上保安庁が28日、付近の海底で沈没している南海丸を発見し、死者167人も引き上げられた、 ちなみに、これが原因で南海汽船は倒産し、現在、同じ航路を運行しているフェリー会社では、年一回、事件のあった日に社員一同で黙祷するそうだ。 |
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1972年7月5日、山崩れの救出作業中、大山崩れ発生。駅に停車中の列車等も呑み込まれ、犠牲者60名。 この慰霊碑を見て、調べて、こんな災害のあったことを初めて知った。 |
他にこの墓地には、
○前橋陸軍予備士官学校慰霊碑
○海軍通信学校の慰霊碑
○献体碑---夫婦とも、医学のために献体した方のお墓らしい。
○第十五号海防艦戦死者慰霊碑
○尼崎市戦没英霊供養塔
○阪神大震災犠牲者の供養塔
などがあった。