熊野神社(2)

この異様な物件何?と思ったら、「長野県最古の狛犬」だそうだ。室町中期の作らしいが、朽ちてしまって、何が何やら・・・。

異説・あずまはや

私が?と思ったのは、「日本書紀で日本武尊が「あずまはや」と言ったのは、ここです」という内容の札。
「あずまはや」は、学校で教わった解釈では、足柄峠のことである。
碓氷峠説は初耳。
「足柄の坂本」と「松井田の坂本」という地名を取り間違えた結果だろうか?

詳しい方に質問。このような解釈は可能なんでしょうか?

へりおすさん、やまのんさんから指摘がありました。

古事記と日本書紀では日本武尊の東征に関する記述が異なり、「あずまはや」の地は古事記では足柄峠、日本書紀では碓氷峠になっているそうです。日本武尊の話自体がフィクションなので、どちらが真実なのか詮索するのは無意味とのこと。

どうもありがとうございました。

あきさんから追加のご指摘をいただきました。

ヤマトタケルの話が創作だというのは、幾つかの実際にあった征伐の話を一つに統合したという感じの学説であって、まったくの作り話だというわけではありません。
そもそも、その学説自体も、幾多ある学説の一つに過ぎないわけで、古事記と日本書紀という、書かれた年代が違う物を比べて、違っている箇所があるから、出鱈目だ、っと云うのは違います。
実際に、ヤマトタケルの話に出てくる草薙の剣は、天皇の三種の神器として存在しており、また、ヤマトタケルの話に由来する史跡や、地名が存在しているので、まったくの創作だというのは極めて可能性が低いですし、ましてや、遥かなる時が経った今、断定する事は不可能です。間違った指摘によって、勘違いをされたようなので、書かせてもらいました。

とのことでした。ありがとうございました。

この逝っちゃった像は、「随神」という偉い神様。明治初期の作らしい。

天孫降臨に際して、思兼神、手力男神とともに降臨し、神社の門で邪悪なものが侵入するのを防いでいる・・・との説明があったが、門ではなくて、建物の奧の方にしまわれていた。ぼろぼろになっちゃって、引退ということなのだろうか(ノД`)

「赤門稲荷」

肝心の赤門がどこにあるのか知らないけど、ひたすら真っ赤。投げやりな塗装だ(ノД`)

売店ではこんなお守りが売られていた。

日本サッカー協会のマークがヤタガラスだなんて、私は初めて知った。いろいろ勉強になります。

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