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松井石根(まついいわね)氏(1878〜1948年)は、旧日本軍の軍人で、1937年(昭和12年)の日本軍の南京占領の現地最高責任者。東京裁判で、南京事件(南京大虐殺)の罪を問われ、1948年、死刑になった人物である。
松井氏の石碑が、名古屋駅西口近くにあるときいたので、見に行くことにした。
「生活創庫」ビルの脇を直進し、徒歩約3分。「椿神社前」交差点に着くと、目の前に椿神明社という小さな神社があった。神社の中は、大正〜戦前の年号の入った灯籠や鳥居だらけだった。松井氏の石碑はどこに?
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「池に沈めた大将の碑」って・・・松井氏のことだ。 |
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松井氏の出身地が神社のある牧野村だったため、昭和14年12月に、この石碑を地元の有力者が建立した。碑文は、松井大将が南京入城後に作った詩「南京入城之感 燦矣旭旗・・・仰見皇威輝八紘」を写している。天皇の権威と兵士の勇ましさをたたえる内容で、城内の忠魂碑に供えたとされている。終戦後、松井氏は、東京裁判でA級戦犯として裁かれ、昭和23年11月12日に死刑判決が下った。碑はこれより前に、戦犯とかかわりなることをおそれた人々によって、中村公園の近くの池に投げ込まれたが、正確な日付はわからない。その翌日の中部日本新聞(中日新聞)に、碑の建立者である恒川氏の談話が載っている。「ただ幼友達というだけでたいした交流もなかった。何も言いたくない」という内容だ。実際は、親しく交際していたそうだが、戦犯と親しかったなどと言えない時代だったのだろう。その後、時期は不明だが、この碑は引き揚げられ、再び椿神社に建立されたという。 |
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この碑も池に投げ込まれたのだろうか? |
南京占領のさい、日本各地でお祝いの祝賀が開かれ、松井氏は英雄として祭り上げられていた。その8年後には戦犯→死刑。彼と親しかった人は他人のふり・・・。時代とはいえ、過酷だ。こんな石碑が名古屋駅の近くに、ほとんど宣伝もされずにある、というのには驚いた。