|
(4) |
|
「天正18年(1590年)、秀吉の小田原攻めで北陸・信州軍を松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所」で、馬の背道になっている。 |
|
観音様の頭上に馬の頭がついている。 |
|
この坂を登りきったところに車(普通のセダン)が捨ててあった。こんなところまでよく車で入れたものだ(゜Д゜) 上側から車を入れたのだと思うが、道幅が車幅よりも少ない部分もあったので、タイヤを斜面に乗り上げたり、片側のタイヤをノリ面に落としたりしながら走ったんだろう。 |
![]() ![]() ![]() |
|
9時、栗ヶ原。熊野神社まであと4.5キロ。中山道と明治天皇御巡幸道路の分岐だと書かれていたが、巡幸道路らしきものは見あたらず。どうなってるの? なお、この地は明治8年、群馬県最初の見回り方屯所(交番の始まり)があった場所だそうだ。 9時13分、あと4キロ。 入道くぼ、まごめ坂通過。 |
![]() ![]() 9時27分、山中の開けた場所に出た。ここが山中茶屋跡。 江戸中期に茶屋が13軒あり、力餅、わらび餅等を客に出していたらしい。石垣が残っていた。また、寺や学校もあったらしい。明治11年の明治天皇北陸巡幸のさい、児童が25人いたので、25円の奨学金が出たとか。プレハブの小屋があり、中を覗いたら、崩壊が進んでいて、天井板が垂れ下がり、いい味出していた。 この付近から、道幅が広くなっていて、「危険 この先は通り抜けできません Uターンもできません」の看板があった。ここまで車で来る人ってけっこういるんだな。 |
| 9時40分、山中坂。 |
![]() ![]() このバス、車内の座席が全部取り払われていたので、ここに捨てられたというより、某不動産会社により、別荘地の休憩所として設置されていたようだ。水源地の汚染問題から別荘計画は頓挫、バスも草むらに埋もれつつあった。 |
| 10時8分、一つ家跡。意地悪な老婆がここに住んでいて旅人を困らせたらしい。 10時15分、陣場ヶ原。太平記に記載されたうすい峠の合戦(新田対足利)の戦場だったらしい。 10時22分、あと2キロ。 |
|
林道を右折すると霧積温泉方面(途中にゲートがあって、その先で車道は途切れているらしいので温泉に行くなら徒歩で)。 私はここを左折。 |
|
10時43分、あと1キロ。 路肩の小径の先に何かあると思ったら、ある家の墓地だった。場違いなところに迷い込んだのでさっさと退去。 この他、遊歩道の入口があったが、こちらはたしか、大正時代に整備されたものの筈。今日は中山道を歩きたいのでパス。 10時58分、思婦石(おもふいし)という日本武尊をしのぶ歌碑、仁王門跡など。 |