石廊崎の洞窟陣地

戦時中、石廊崎に旧日本軍が駐屯しており、洞窟陣地が多数掘られた。特攻用モーターボート・震洋の部隊だったそうだ。ネット上に情報がほとんど無いので、ここが部隊の駐屯地だったということを知らなかった私は、現地で穴だらけの風景を見て驚き、地元の人に聞き込みをして情報収集した。

駐車場脇の二つの穴。

駐車場の管理人さんに訊いたら、軍隊の掘ったものだという。

駐車場と穴の前の道の間に川があり、川の右手は海。

左側の穴は廃材置き場として使われていた。
右側の穴は「リサイクルステーション」として利用されていた。「リサイクルステーション」って要するにゴミ捨て場?

上の穴とは別に、川の少し上流側に、さらに穴が二つあった。この穴は川に開口しており、川を暗渠化して駐車場が作られたため、侵入困難な状態になっていた。これも軍隊関連のものらしいので、写真を撮った。食堂「龍宮」のおばあちゃんの話では、穴は3つあったらしいが、2つしか見つからなかった。

港から石廊崎に通じる遊歩道を登っていくと、崖に穴発見。

画像では写っていないが、私の立っている場所のすぐ左手。

小ぶりな穴で大量の木材やゴミが捨てられていたので入ることはできなかったが、奥の方に通路が続いているのが見えた。裏が取れなかったが、これも軍隊関係のものかな?場所的に震洋格納庫ではないと思うが。

港の反対側の崖を見たら、食堂「龍宮」脇の崖に大穴が開いているのが見えた。中に小屋のようなものがあり、店の方が使っている様子。

港の対岸に回り、大穴脇の食堂・龍宮へ。店のおばあちゃんに「ここって軍隊の洞窟ですか?」と質問したら、やはりそうだった。おばあちゃん曰く、「昔、ここにはモーターボート(震洋)の部隊がいた」「この穴は部隊長がいたので、特に大きな穴だ」「龍宮の建物の裏にも穴があるが隠れて見えない」

さらにいろいろ話が聞けそうなので、缶のお茶を買って、店に上がり込んで聞き込み続行。なんでも、戦時中、石廊崎集落には部隊が駐屯していた。そんなに大きな宿泊施設はないので、村人が自分の家に兵士を泊まらせていた。敗戦後、米軍の報復をおそれた村人たちは、震洋に火をつけて燃やしてしまった。だから、震洋は一隻も残らなかった。とのこと。また、震洋はあったが、ガソリンが少なかったので、実際に米軍が攻めてきても出撃できたかどうかは疑わしい、とのことだった。

おばあちゃんが「脇の穴を見せてやるよ」と言って、私を倉庫代わりの穴に連れて行って下さった。穴は深さは20メートルくらいで行き止まっていた。この穴は潜水艦が入りそうなサイズだが、石廊崎には特攻用の潜水艦はなかったらしい。

おばあちゃんにお礼を言って、龍宮を後にした。

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