田浦の砲台山

私の掲示板で、「太平洋戦争時に田浦に設けられた高射砲は何山にあったんだ?」という話になり、「のの字橋上の住宅地」「田浦梅林」等が候補に挙がったが、ネットで調べてみると全く違う山にあることがわかった。そこで、その山に行ってみることにした。

田浦の砲台山の場所は田浦変電所の南側の山らしい。マップファン

土地勘がないので住宅地等を右往左往した挙げ句、やっとのことで田浦変電所にたどりつくことができた。変電所手前の踏切が四輪車通行禁止の狭い踏切で、そこから先は車の駐車スペースはほとんどない行き止まり道。バイクで来てよかった〜。変電所の前にバイクを停め、山の方に歩いていったら、この界隈の集落は無人だった(正確にいうと、一軒だけ住んでいる家あり)。後で知ったのだが、バブル期の地上げで廃集落になってしまったらしい。砲台山についてキキコミしようと思ったのに、これじゃあね。

変電所からまっすぐに舗装路を登ると、廃屋の敷地内で行き止まりだった。どっから山に登るんだ? 右往左往した挙げ句、舗装路の右手の階段を上がればいいことが判明。

廃集落を抜け、そのままハイキングコースのような道を登っていったら、畑に出た。

この石垣、砲台建設当時のものかな?

聞き込みしようにも、周囲にひとけなし。

畑は峠のような部分にあり、両側にピーク。どちらの山のどの位置に砲台(高射砲)があったのか、はっきりしない。右手の低い方の山が砲台跡だとしたら、こんな感じなのだが・・・。

それから、砲台跡にはたいてい、機材を運び上げる車道がついているが、ここにはそれらしきものもない。キキコミしようにも人がいないので、どうにもならない。

山から下りて、下の広い道をバイクで走っていたら、散歩中の年配男性発見!そこでバイクを降りて、砲台山について質問してみたら、砲台は間違いなく、あの、畑の山にあったそうだ。そして、この山、地元でも「砲台山」と呼ばれていたそうだ。砲台への機材は、山の反対側の田浦小学校側から馬車で運び上げていたらしい。

田浦小学校は尾根を挟んだ隣の谷にある。尾根越えの道はないので、いったん国道に出て田浦小学校前の道に移動。こちらから砲台山に登る道を探したが、車道は無し。ハイキングコースは発見したが、この道、直接砲台山への登山はできなかった。その前に一つピークを越えなければダメなのだ。それに、この道、馬車が通れるほどいい道ではない。当時の道は消滅しちゃったのか?というわけで、資材搬入ルートは謎。

次に、田浦梅林に行ってみた。ここは以前、私の掲示板で砲台山の候補地だった場所。すでに砲台山の正確な場所がわかった以上、梅林が砲台山である可能性はなくなったが、こんな高台だから、何らかの目的で軍隊が使っていた可能性はあるわけでしょ?

梅園の上までバイクで登れるかと思ったら、麓に「ここから先梅園まで駐車場はありません。左折してお戻り下さい」の看板が。あらら。バイクなのでそのへんはなんとかなる。道幅の広くなった場所にバイクを停めて、そこから歩いて登山。昭和8年、昭和天皇ご生誕記念に植えられた梅700本があるらしいが、そちらのルートではなく、近道ルートで登山。

登り切ったところが頂上かと思ったら、そこからなだらかな丘陵がえんえんと続いていた。展望台の手前に受付があり、係のおじさんが二人いたのでキキコミしてみた。

すると、田浦梅林は戦時中は畑だった。この界隈、一部には水田もあったらしい。軍隊の施設は無しとのことだった。

「安針塚公園に至る車道の途中にある「のの字橋」(画像)は軍隊が作ったものだ」という噂がある。この界隈の山の上にも軍事施設があったのではないか、という憶測が飛んでいたので、こちらについても質問してみた。

こちらに対するおじさんの回答のの字橋は、軍隊が作ったのではなくて、昭和初期、塚山公園の開所セレモニーのために整備された車道の一部である。この界隈に軍事施設はなかった筈」

つまり、田浦の山の上の軍隊関係施設は、あの砲台山以外にはなかったらしい・・・ということ。役に立つ情報がきけた。聞き込みした甲斐があった。