渥美の戦争遺跡ツアー参加体験記
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豊橋の友人に「とよはし歴史探訪 渥美の戦争遺跡」というバスツアー(2005年2月13日)に誘われて、申し込みをお願いした。講師はこの分野では有名な伊藤厚史氏(名古屋市見晴台考古資料館学芸員)。競争率3倍の難関?を突破して当選したので、前日の夜から友人宅に泊まって参加することにした。

当日は、友人宅を8時半に出発、9時に豊橋市美術博物館前に到着。

参加定員は37名。年配の方が多かった。男性は当時、陣地の構築に携わった方等いそうだが、おばあちゃんはこのツアーにどうして参加したのかな?友人は「夫婦じゃないのか?」と推測していた。戦跡マニアらしき若い人もいた。子供は一人のみ。

本日の引率者は美術博物館のイワハラさん講師が伊藤氏

豊橋市内から戦跡について、通りすがりに移動しながら説明。

●愛知大学は予備士官学校で、高師原演習場の宿舎、土塁等、軍隊関係の史跡が残っている。→2006年の調査結果はここを参照

●天伯原陸軍演習場
日本唯一の飛行場を作る訓練が行われていた場所で、飛行場設定部隊が駐屯していた。
「大清水」には飛行場があり、「老津(おいつ)」では設定訓練が行われていた。

最初の見学地は渥美郷土資料館裏手にある福江観測所

郷土資料館の駐車場脇の遊歩道を登った。すると、いきなりコンクリ構造物が。これが観測所かと思ったら、その先に立派なレンガの観測所があった。明治34年着工の伊良湖試験場と同時期の建築である。

←建物の周囲で伊藤氏の解説を聴く人々。以下、内容。

この近くに「陸軍技術本部伊良湖試験場」があり、試作兵器や、ろ獲兵器の試射が行われていた。同様の施設は富津、浜松、浜岡等にもあったが、富津は大きな大砲専用で射程が5キロ程度、浜松は高射砲専用、浜岡は造兵省(?)管轄だったので、伊良湖(射程10キロ)が一番大規模。福江観測所では弾着の観測と、気象データの測定を行っていた。
この周辺の土地は県の所有だが、観測所の土地のみ国の所有。

群衆が立ち去った瞬間を狙って撮影。

団体ツアーは説明が聞けるのは嬉しいが、写真撮影は大変。
南向きの観測窓。弾が飛んでいった方を向いている。
福江観測所から北側の展望。火力発電所の手前から大砲が発射されたそうだ。

次は小中山児童公園の伊良湖試験場跡地昨年私が行った場所だ。

公園の中にバスを乗り入れて客を降ろし、哨舎の前で解説会。

この哨舎は以前からここにあったものではなく、当時、試験場(試射時は住民立ち入り禁止)の境界に一定間隔で設置されていたものの一つで、亀山という場所にあった。戦後、個人が庭に飾っていたものを公園内に移築した。

隣の陸軍省管轄の石碑(文字が消えていて読めない)も他の場所から移設したもの。

解説する伊藤氏(左)とイワムラさん(右)

伊良湖試験場は明治34年に着工し、大正年間まで拡張工事を続けた。宮内庁や村の入会地が買収された。

伊良湖神社や伊良湖の集落は射線上にあって危険ということで移転させられたが、公園隣の田戸神社は、宮内庁から「神社の移転は行わない」という条件で譲渡されたので、試験場の敷地内に神社がある、という形になった。

福江港からここまでは、トロッコに資材を積んで、ディーゼル機関車が引っ張っていた。このトロッコは昭和30年頃まであった。だいたい今の車道に沿ったルートだった。

解説中、友人が近くの松の木の根本を指さして、「これは松根油を取った跡だよ」。松の皮が矢羽根型に広範囲に剥げていた。看板が立っているわけではないので、言われなければ気がつかない。よく見ると、その隣の松の木も皮を剥いだ跡があった。
その後、私のサイトで「陰気な倉庫」と書いた建物の説明。この建物は、「脂油庫」といい、当時、軍隊がエンジンオイル等を貯蔵していたらしい。このような建物は、この周辺の個人所有の土地に3棟ほどあるらしい。

試験場の大砲本体はこの公園よりも海寄りにあって、現在は住宅地になってしまい、遺構は残っていないそうだ。

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