飛騨開運乃森(1)

一刀彫の七福神が並ぶ「飛騨開運乃森」「珍寺大道場」「東海発バカルト紀行」で取り上げられていたので、見に行くことにした。

「飛騨の里」に向かって走っていく途中、左手に「大七福神」の幟が出ていたので敷地を見ると、ダートの車道が斜面の上の施設まで続いていた。え〜、こんなところなの?と思ったが、セローなので勢いで受付前まで登ってしまった。そこには車一台くらいしか置けるスペースがなかった。しまった〜、ダートの右手にあった広場(画像の左側の空き地)が駐車場だったのか〜。

受付を開ける作業をしていたおじさん(この方が施設のオーナー倉坪信雄氏だった)に、「バイク下に降ろしましょうか?」と言ったら、「駐車場は下だけど、ここでもいいですよ」とのことなので、ありがたく置かせてもらうことにした。

ちなみに、この施設の隣には「飛騨の里」という観光施設の立派な舗装の駐車場がある。ご主人の話では、こちらは飛騨の里専用駐車場なので、開運乃森しか見ない方は停めないで欲しい、とのこと。

ご主人にどうしてこの施設を作ったのか質問したら、「夢のお告げのとおりの場所に行くと、不思議なことに大きな木があるんだよね」と言いながら、特別に冊子を下さった。岐阜新聞の昭和61年7月8月の「素描」という随筆欄の抜粋らしい。以下、内容の要約。
倉坪氏は昭和10年古川町生まれ。最初は農業にたずさわっていたが、国の減反政策に嫌気がさし、昭和46年古美術商に転職。観光客と話をしているうちに、「飛騨の心のよりどころ」が必要だと感じるようになった。ある朝、郊外の製材所でこぶのある杉の巨木を目にして、直感的に大黒様を作ることに決心。甚五郎コンビ(山村佐藤兵衛、中村円正氏)像の製作を依頼した。像の製作場所は、山村氏の経営するドライブイン数河の一角(現在菅生稲荷神社のある場所)。こうして大黒様、恵比須様の像が誕生した。これが昭和56年頃のことらしい。

昭和59年の正月、大黒様が夢に出てきて、同じ製材所にある巨大な杉の木で福禄寿を作るよう勧められた。甚五郎コンビに相談し、1/10のひな形作りから始め、その年のうちに福禄寿完成。続いて布袋様完成。資金不足で先行きが心配されたが、友人の協力で銀行の承諾が取り付けられ、弁財天、吉祥天、毘沙門天全てが完成した。

昭和61年(1986年)7月1日に飛騨開運乃森がオープン。

飛騨の甚五郎コンビはこの直後(87年、89年)に亡くなった。巨大七福神像は遺作といえるのではないか?
この七福神はトーテムポールの一種としてギネスブックにも登録されているそうだ。受付脇に2002年のギネスの証明書が貼られていた。
「寿老人は菅生稲荷の方にありますよね?ということはここにあるのは六福神?」とご主人に確認したら、「六福神に吉祥天を加えて七体にしてあります」とのこと。吉祥天は毘沙門天の妻で、八体目の七福神として仲間に入れることもあるそうだ。

入園料500円払って敷地内に入った。

右側に「郷倉」と書かれた東屋があった。覗いてみたら、土人形、書画、壺、鷹の置物等に混じってお馬鹿な物件がちらほら。

ちょっと先に行った場所の「匠魂堂」もB級マニアには嬉しい雰囲気。鳥の巣箱、欠けた仏像・・・。

これだから、個人経営の手作り系施設は好き(*´д`*)

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