大和ミュージアム(2)

歴史展示室は、展示物の前に客が鈴なりになって、ゆっくり見られない状態だった。人気施設おそるべし(^_^;)
歴史展示室の資料は、著作権やプライバシーのからむもの(遺書など)のみ撮影禁止。基本的には撮影可というのは嬉しい配慮(^_^)
戦艦金剛に積まれていたヤーロー式ボイラー(実物)
大正2年竣工、36基。重油と石炭混焼。昭和3〜6年の近代化で撤去され、平成5年まで科学技術庁の研究所に使用されていたそうだ。

呉鎮守府海軍工廠の歴史、広瀬中佐、佐久間艇長(第六潜水艇記念碑参照)の話、海軍工廠で明治32年に竣工した通報艦「宮古」の資料、大戦後の軍需景気、呉市民の文化活動(右画像は戦前の呉観光案内ガイドブック)などが展示されていた。

回天を含む、潜水艦関連の展示も豊富だった。呉の海軍工廠で造られた潜水艦も多いそうだ。

米軍に撃墜された山本五十六長官搭乗の一式陸攻の破片

通説では山本五十六長官は敵機の機銃で頭と胸を撃ち抜かれて絶命したことになっているが、墜落した当初、彼は生きていて、その後、座席に座った状態で自決した、という説があるそうだ。長岡市の山本五十六記念館に展示されていた説だが、真相は如何に?

戦艦伊勢の救急箱

同じ物が陸奥記念館にも展示されていたので、各軍艦に常備されていたのかもしれない。

興味深いのは、「涙の手当」「クシャミの手当」「タダレの防止」の文字。つまりこれは毒ガス用の救急箱なのだ。ジュネーブ条約で毒ガスの使用は禁止されていたが、日本軍が毒ガスを使っていたのは周知の事実。敵国が毒ガスを使うだろう、と考えるのは当たり前なのかな・・・。

撃墜されたB29ロンサムレディー号の機体の一部。

9名のうち1名はパラシュートが開かず死亡、捕虜になった8名のうち6名は広島で被爆死。うち1名は8/19まで生きていたが、重度の放射線障害で苦しみながら亡くなられたそうだ。原爆を投下した国の国民、しかもB29の搭乗員ではあるが・・・合掌。

戦艦日向の航海灯。

この航海灯って船のどこについていたのかな?

別室には戦後の呉の歴史が展示されていた。敗戦と枕崎台風による産業の壊滅、その後、1950年の軍港市転換法で呉市が再び発展を始めた経緯などが書かれていた。企業の協賛コーナー全く人気なし。スポンサーなんだけど、ここに来る人たちの目的は、旧海軍目当てだからなぁ。

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