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近くの富草小学校の校章は鮫の歯の化石を図案化したものらしい。 |
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サイの下あごの化石も出土。カニサイの「カニ」は同種の化石が最初に出土した場所の地名(可児市)。 |
![]() ![]() この他、マメジカ、トド、クジラ、ジュゴン、パレオパラドキシアの化石なども発見されているそうだ。 |
どうしてこの界隈からこんなにたくさん化石が出るかというと、ここは昔は浅い海だったからだそうだ。
新生代第三期中新世(約1700万年〜1550万年前)のことらしい。日本列島の土台である領家帯の上に富草累層が積もり、そこに海やその周辺に暮らしていた生物の死体が積もって化石になったそうだ。化石の種類ら判断すると、当時、この界隈は温暖で、マングローブ林が海沿いに広がっていたと推測されるそうだ。
また受付に戻った。受付で「化石のおじさん」(化石のおじさん刊行会)という冊子を200円で売っていた。興味があったので購入したが、全部で90ページほどのとても200円とは思えない立派な冊子だった。おばさんに「この値段だと採算取れてないんじゃ?」と訊いたら、「昔から値上げしていないようですよ」とのこと。ちなみに、この本の発行は昭和52年。博物館の開館した年だ。中身を読んでみると、佐々木仲男さんという方の追悼文集だった。佐々木さんという方は、明治44年生まれの方で、農業の合間をみて、阿南町で化石を発掘して回っていたそうだ。マニアは往々にして、自分の蒐集したものを一人で抱え込んで外に出さないことがあるが、佐々木さんは、必要な人に化石を貸し出したり、化石発掘の情報や手法を他人に教えたりと、化石をいかに郷土に役立てるか考えており、「化石のおじさん」と言われて親しまれていたそうだ。カニサイの化石を国立科学博物館の学術の方(現・群馬県立自然史博物館館長・長谷川善和氏。飯田中学で宮沢氏の同級生だったそうだ)などに鑑定を依頼するなど、専門家との交流も盛んだったとのこと。化石館の展示解説を行っていた宮沢氏は富草中学の先生で、佐々木氏と化石の採集についていろいろ情報交換されていたそうだ。佐々木氏や協力者のおかげで、阿南町で大量の化石が発掘され、昭和42年に「阿南町の化石」という本が出版された。大量の化石は富草中学校の一室に展示され、そこが「阿南町化石館」と呼ばれていたが、ちゃんとした化石館を作ろう、という話が出た矢先、昭和47年に佐々木氏は癌で60歳で亡くなられた。その遺志をついだ方々が昭和52年、現在の化石館を作られたのだそうだ。
展示を見ていて、気になっていたイラストの件について質問した。「誰が描かれたんですか?」おばさん「私は留守番でわからないので、電話で訊いてみますね」「今日は教育委員会の方はお休みなんだけど」と言いながら、おばさん、電話をかけた。出てきた人におばさん、状況を説明して、私と代わった。私が質問したら、出てこられた男性の方「今、少年野球の最中なんだけど・・・」と言いながら、あの絵が宮沢氏の手描きであることをお話して下さった。お取り込み中なのに申し訳ないですm(_ _)m