満鉄ホテル(2)

あじあ号手ぬぐい。満鉄社歌も貼られていた。
法政大学の旗。脇に大川周明の履歴を書いた紙があった。

ここの支配人の酒井氏は法政大学で大川周明の教えを受けたそうだ。

大川周明については以下を参照http://ja.wikipedia.org/wiki/大川周明

パール判事の写真。判事は東京裁判で唯一、A級戦犯をかばい、戦勝国のやり方を批判した人物である。
この画像の人物がパール判事ではなくて、大川周明である、とのご指摘を頂きました。ありがとうございました。

6時半に電話がかかってきたので下の食堂に行ったら、
刺身、シュウマイ、水餃子、大学芋、大盛りのご飯、味噌汁、フライ、サラダ、ミカン・・・分量がとても多い!YHの食事に慣れている私にはゴージャスだった(^_^) 

食事を終えてのんびりしていたら、酒井氏とおばさんが食堂にいらっしゃった。
満州のお話がききたいんですが・・・と酒井氏にお願いし、貴重なお話を伺った。

○酒井氏は大正13年、満州(奉天)出身の81歳。実家を出て、法政大学に入学するとすぐに勤労動員に借り出され、勉強にならなかった。熟練工員が戦争に取られていて不在なので、不慣れな学生が大砲の製造工場に行き、クレーンの扱いを誤り二人死亡。生産された製品もそこそこの精度の粗悪品。小銃は銃眼を省略、20発弾を撃ったら、銃身が曲がってしまった。剣を作ったら柄のついていないものばかり。こんなのどうするの?と上官に質問したら、「荒縄を巻き付けて使え」と言われた。日本は戦争に負けると思った。

○その後、学徒動員で豊橋の師団に入った。沖縄に出撃する部隊の編成にも関わったが、派遣される前に沖縄が陥落し、行かずにすんだ。終戦時は浜松で上陸してくる米軍を迎撃する蛸壺陣地の設営を行っていた。ここから爆雷を背負って敵戦車に突入する予定だった。

○満州での思い出話。氷点下30度はすごかった。立ち小便するとしずくが凍る。唇をドア?の金属につけたら、取れなくなってしまって大騒ぎ。母親が出てきてぬるま湯をかけてくれてやっと脱出した。

○このホテルは大山英夫氏との共同経営。彼は現役の実業家で、奉天加茂小の同級生。ここに土地を買い、ホテルを建てたのは大山氏。酒井氏は支配人として常駐。
主に満州関係の人の同窓会会場に使われているが、最近は皆さん歳をとって同窓会の開催も大変。

○ホテルの正式名「ムクデン満鉄ホテル」「ムクデン」の意味は、満州族語で栄える都の意味。

この他にもいろいろお話を聞かせていただいた。興味のある方は宿泊されることをお勧めします。

 

翌朝は6時半起き、7時から裏山石碑巡りを始めた。

昨日の話では、「裏の山には満州の学校の校歌の石碑などが121基+4基ある。山の斜面なので、足腰の悪いお年寄りには大変。ざっと見るだけで30分、じっくり見ると1時間かかる」とのことだった。

ホテルの屋上。
国道の向こうの海から朝日が昇ってきた。
ここから山道を登る。

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