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妻良の洞窟陣地跡探し |
このサイトによると、妻良(地図)と隣の子浦集落には震洋部隊が駐屯していたそうだ。
妻良漁港に行き、バイクを置いて、漁具の整備をしていた男性(A氏)に聞き込みしたら、「ここには暁部隊★が駐屯していたが、洞窟陣地はない」とのことだった。
★暁部隊−−戦地むけの資材の船舶補給部隊。暁部隊と呼ばれる部隊はいくつもあったそうだ。参考サイト
彼は忙しそうだったのでそれ以上は訊けず。本当かな?と思い、一応港周辺を歩いて回ってみたら、やはり人工の穴は見あたらなかった。うろうろしていたら、別の漁師さん(B氏)に話しかけられた。洞窟陣地探しをしています、と話したら、この男性、「私は予科連出身です」って(゜Д゜) ラッキー!ということで、いろいろお話を伺うことにした。
○彼が予科連の試験を受けたのは昭和19年。入隊したのは昭和20年の春で、終戦時は横須賀で防空壕掘りをしていた。
○予科連に入る前、昭和19年に中学校に行っていた頃から、嵐部隊という工兵隊が妻良に駐屯していて、特攻艇を隠す覆いみたいなもの松の木を倒して作っていた。彼も手伝わされた。洞窟でなく、どうしてこんな形で震洋を隠すことにしたのかは不明。
○戦争末期、彼はここにはいなかったが、結局、震洋はここには配置されなかったらしい。
○彼がまだ妻良にいた頃、沖に米軍のものらしきゴムボートが浮いていて、大騒ぎになったことがあった。上空をグラマンが飛び回っているので、制空権のない日本軍は手出しができなかった。他、駿河湾を航行中の船が米軍に攻撃されて港に逃げ込んできたことがあった。この時は怪我人か死人が出たようだ。
○妻良など西伊豆に震洋基地を設ける意味は、駿河湾から侵攻する米軍の兵力を少しでも削減したいという意味があったようだ。
B氏のおかげで役に立つ情報が入手できた(^_^)