三芳村の桜花基地跡(2)

カタパルトの山側約10mの部分は、
畑の盛り土の中に消えていた。その上が畑なのだが、農家の人によると、なぜかコンクリ直上部は作物の育ちが悪いらしい。
さらにその先を見てみると、

←ミカンの木の右側に、洞窟が崩落したような痕跡が認められた。昔はここに桜花の洞窟格納庫があったそうだ。

他に洞窟が残っていないか探してみたら、左手のかなり高い位置に浅く掘られた跡が一箇所あったきりだった。位置的にこちらは格納庫ではないだろう。

桜花基地跡の斜め上あたりに舗装農道があるが、こちらは戦後に作られたもの。その時出た土砂で、カタパルトの上に盛り土して畑が作られた。

戦時中の軍道は農道の反対側にあったが、そちらは現在は栗林などになっており(画像)、軍道は消失している。正確に言うと、軍道の下半分は現在も使用中らしい。

おじさんに話をお伺いしていたら、神社のおばさんが現れた。彼女の話では、昭和20年8月に「カタパルトの延長線直下にある神社から立ち退くように」という命令が出され、「神様に立ち退きを迫るようじゃ、この戦争はもうダメだね」と言っていたら、立ち退き日の2〜3日前に戦争が終わったそうだ。

現在、この位置に神社はないが、神社の方は健在。今日も山の神様にお供えものをしにいらっしゃったのだそうだ。

以下、おじさんとおばさんに教えて頂いた三芳村の戦時中、戦争直後のお話。

○村にはこの他、弾薬などを貯蔵する洞窟などが掘られた。洞窟の中には銃眼を持つものがあり、内側から銃眼を覗くと、県道が見えた。本土上陸作戦が行われた場合、ここから県道を通行する米軍を狙撃する計画だったらしい。また、戦後、弾薬洞窟からヤクザが手榴弾を持ち出す騒ぎもあった。手榴弾があるということは、やはり本土上陸迎撃が想定されていたのだろう。

○戦後、村に米軍の兵士が現れた。機関銃を構えて油断ならない体勢だった。彼らの指示で、洞窟が爆破された。その時、おじさんの持っていた懐中電灯?が作業ミスで爆破に巻き込まれ、行方不明になってしまった。

今回はこんな感じで貴重なお話がたくさんきけました(^_^)

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