関ヶ原火薬庫跡(1)

関ヶ原鍾乳洞周辺に、関ヶ原火薬庫(名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠)跡の遺構が残っている。火薬庫が作られたのは大正初期。昭和二十年の終戦時まで使われていた。火薬庫として使われていた区域の面積は約450ヘクタールという広大なものだった。

ウォーランド方面から県道229号を関ヶ原エコミュージアム方面に走っていくと、道沿いの路肩に門柱発見!地元の人の話では、軍隊の営門だったそうだ。
その脇には何らかの施設の土台跡と思われるものや井戸があった。

その先が、廃遊園地・メナードランド

実は画像の白い建物(スケート場の更衣室や催事場として使われていたらしい)、火薬庫の転用である。この奥にもう一棟、倉庫に転用された火薬庫があるそうだが、敷地外からは見えない。地元の人の話では、いずれも半地下式で、屋根の上に土が載り、換気塔が突き出しているそうだ。
国道を挟んでメナードランドの向かいに哨舎があった。脇に「日本武尊の腰掛け岩→」の看板はあるのに、哨舎の説明は無し。黒歴史として避けられてるのか?と思ってしまった。この哨舎はもともとここにあったものではなく、他所から移設されたものだそうだ。

実は哨舎脇の小径の先に、防爆用の土塁と、それを貫くトンネルがあったそうだが、見落とした。

こちらはメナードランドの少し先・県道沿いの土塁トンネル。説明看板あり。トンネルは反対側に抜けることができた。

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