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吉見百穴の地下軍需工場跡(2) |
「百穴発掘の家」と書かれた売店に入ったら、店内では愛想のいいお兄さんが、「昔の百穴の写真はこちら」「百穴から発掘されたものはこちら」て案内して下さった。明治時代の百穴の写真は珍しかった。年配の女性店員さんが、他の客に向かって、百穴についていろいろ説明していた。この店で食事するといろいろお話が聞けそうだ。ということで、500円のたぬきそばを注文し、聞き込みすることにした。
年配の女性は戦時中はここにいなかったので、当時の状況は知らないそうだ。しかし、30年くらい前までは現在のように観光コースが整備されておらず、軍用洞窟に自由に入れた、と話していた。当時は今みたいに歩きやすい状態ではなく、床が湿っていたりぬかるんでいたりしたとか。その後、どういうわけか、洞窟内が乾いて歩きやすくなった反面、百穴に生息していたヒカリゴケもあまり見かけなくなってしまったそうだ。 |
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売店裏を検分したら、鉄柵で封鎖された穴を発見した。覗いたら半分埋められていた。 |
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さらに右手を探したら、敷地の端に大穴発見。おお・・・軍需洞窟の未公開部分の入口だ。柵など全くなくて、ウエルカム状態だった。入ってすぐ右手の風呂場跡は興味深い構造だったが、奥の方は怖くて入れなかった。 |
●吉見百穴
埼玉県比企郡吉見町北吉見、0493-54-4541
8:30〜16:30、無休、300円
百穴の手前50mの場所に「岩窟ホテル」の廃墟がある。
「岩窟ホテル」は高橋峰吉という人が明治から大正にかけて掘った洞窟である。貯蔵庫として使うつもりだったと書かれたサイトもあるが、内部にテーブルや花瓶などが岩から掘り出した形で設置されていたそうなので、単なる貯蔵庫ではなかったのだろう。ホテルとして使われたことは一度もなかったそうだ。ホテルは「掘ってる」がなまってつけられた、とのこと。この建物の詳しい履歴はポンチハンターさんのサイトに書かれている。戦前、戦後にわたって一般公開されていたが、昭和62年の台風で崩落したため閉鎖されてしまった。
昔は外壁に装飾されていたそうだが、現在、風化して装飾は完全になくなっている。 |
岩壁に窓の穴が開いているだけだ。 |
岩窟ホテルの右下に開いている大きな穴は、吉見百穴同様、軍需工場用に掘られたものだそうだ。吉見百穴の軍需工場穴とつながっている、という噂もあるそうだが、百穴の展示室に掲示されていた穴のマップを見ると、ガセネタのようだ。 |
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すぐ前の売店は高橋氏の子孫・岩窟ホテルの所有者が経営しているそうだ。もしかすると侵入許可が取れるかも、と思ったので、店に入ってみた。 店番をしていたおばさんの話では、閉鎖後、しばらくの間は依頼者がいると、中を見せたりしたこともあったそうだが、最近はマスコミ等の内部見学依頼を全て断っているそうだ。所有者である自分たちも最近は中に入ったことはないとのこと。 ということで残念でした(ノД`) |