調布飛行場付近の高射砲陣地跡

調布飛行場は昭和16年に調布陸軍飛行場として竣工した。戦争末期は本土防衛のため、三式戦闘機・飛燕が配備されていたそうだ。現在も、飛燕を格納していた掩体壕や、高射砲台座、陸軍飛行場時代の門などが残っているそうだ。 「写真と地図で読む!知られざる軍都 東京」(洋泉社MOOK)を参考に、調布飛行場界隈の戦争遺跡を見て回ることにした。

本の地図を見ながら、羽沢小学校裏の小高い丘の高射砲陣地跡地図)に行くことにした。そうしたら、椎の実子供の家(保育園)、どんぐり山(特養老人ホーム)看板「首都防衛高射砲陣地跡」の文字が併記されていた。
保育園は日曜日なので休みでひとけ無し。

敷地外から覗いてみたら、高射砲陣地跡の慰霊碑が見えたが、高射砲台座は確認できず。

隣のどんぐり山は土日無し年中無休の営業。事務所で訊いてみたら、椎の実子供の家の電話番号を教えて下さった。

そこで翌日、椎の実子供の家に電話し、3日後の平日朝10時に訪問する予約をした。
当日は、担当のOさんにあちこち案内して頂いた。

Oさんのお話と現地の慰霊碑と、ネットで拾った情報をまとめると・・・

昭和18年9月、東部第1903部隊調布隊が通称どんぐり山と呼ばれている丘に高射砲陣地を構築した。数度にわたる米軍機との交戦により、犠牲者4名、負傷者多数を出した。昭和20年4月、富山県伏木港(日本海側唯一の食料補給港)防衛のために部隊が移動するまで、ここを同隊が守った。昭和20年5月半ば、調布飛行場にいた部隊が特攻隊援護のため九州に移り、調布飛行場も役目を終えた。

とのことである。

戦後、元三鷹市長である鈴木平三郎氏(故人)が高射砲台座のある土地を買った。高射砲台のうち2基は、どんぐり山(平成8年開館の特養老人ホーム)の敷地内にあったが現存しないそうだ。

ということで、残りの4基の高射砲台座を見せていただくことになった。

花壇に転用された砲台

上に鉢がたくさん載せられていた。
園長さんがお花が好きだそうだ。

水道施設とアンテナ台座として使われている砲台

保育園というより、保育園隣の駐車場脇。台座の上に高さ60センチくらいのコンクリ円柱(水道関係のパーツらしい)とアンテナが載り、砲弾(高射砲の砲弾ではない)が置かれていた。

ここから調布飛行場方面が見える。以前は、眼下の羽沢小学校の敷地に兵舎があったそうだ。

プラネタリウム前の砲台

保育園内にプラネタリウムとして使われていた建物がある。映写機械が古くなって更新できなくなったため、現在はプラネではなく、地域交流の場として使われているそうだ。建物の前に高射砲台座があり、プラネ映写機が記念物として載せられていた。

国旗掲揚台に転用された砲台

周囲が花壇になっており、はにわとカエルの置物が載せられていた。

首都防衛高射砲陣地跡慰霊碑

昭和56年、調布隊戦友会により建立された。2月17日(犠牲者命日)と8月15日に慰霊祭が行われるそうだ。

Oさんはこの保育園に勤めて17年目だという。以前は太平洋戦争に参加なさった方がよく見学にいらっしゃったそうだが、最近では皆さん高齢化であまり来られなくなった、とのこと。

★高射砲陣地跡の見学は、個人なら事前の電話で問題ないそうですが、団体の場合は、人数が多いと保育の妨げになるため、断ったり、グループを分けるように依頼したりすることがあるそうです。

●椎の実保育園(高射砲陣地跡)
東京都三鷹市大沢4-8-8、0422-32-4103
公式サイト(その1その2

【関連】
★調布飛行場周辺の掩体壕
★調布飛行場の門柱
★多磨霊園