石仙人と化粧屋(1)

独学で石彫りを学び、3年目にして石と会話できるようになった男性「石仙人」が諏訪にいるそうだ。その方の家の敷地には100体を越す自作の石仏が並んでいるという長野日報の記事)。掲示板で情報提供して下さった方がおり、興味を惹かれたので見に行くことにした。

諏訪大社春宮駐車場にバイクを入れ、神社と万治の石仏に参拝した後、石仙人の家を探すことにした。長野日報の新聞記事には「下諏訪町社」「下諏訪北小学校通学路に面している」など書かれているので、とりあえず、小学校めざすことにした。ネットの記事には画像がないが、無事たどりつけるかな? 道すがら買い物袋を下げて歩いていたおばさんに、「石仙人の家はどこですか?」と質問したら、「?」だったが、隣の敷地にいたおじさんが「青木さんのところだ」「ああ、青木さんね」「ここのすぐ上だ」と教えて下さった。

北小入口交差点から坂を道なりに登ると北小。そこから100mくらい先、左手に、石垣の上に手作りふうの龍神や仁王様、弘法大師、たぬきなどの像を並べている家があった。あ〜。ここだ。
丸っこい感じの彫り方だ。作っているお方の性格が円いのかな?(←けっこう当たる)

像の数は最初に紹介した記事では150体だが、他の記事では350体。ここには10くらいしかないけど、他の場所にあるのかな?

家の敷地に沿って回り込んでみたら、どうやら、この家、「理容ふたば」というお店を兼ねているようだ。

中に入って聞き込みしてみるか、ということで、入店したら、お嬢さんが出ていらっしゃった。事情をお話ししたら、「父(青木恒男さん)を呼んできます」とのこと。ありがとうございますm(_ _)m ということで、髭を生やした温厚そうな青木氏登場。作品の前で青木氏にいろいろ説明していただくことができた(^_^)

○青木氏は美大は出ていない。義務教育のみ。昭和2年生まれでぎりぎりのところで戦争に行かずにすんだ。学校を卒業して、集団就職で東京(板橋)の通信機械用発動機を作る会社に勤めた。工場疎開で諏訪に工場が移転したため、また諏訪に戻ってきたので、東京のすさまじい空襲は体験していない。それにしても、戦時中、戦後の数年はひどい時代で自分には楽しい青春なんかなかった。8年くらい前、突然、石にいろいろ彫りたいという衝動にかられ、作品を彫り始めた。今が青春だと思っている。

○「作品350個ってどこにあるんですか?」という私の質問に対して。
石垣の石一つ一つに小さな仏様や七福神が彫ってあって、これを合計すると350個になる。

あ、気がつかなかった(^_^;)

こちらの作風も「円い」。


○自分は工場勤務だったので、機械の扱いには慣れているが、像は全て手彫り。効率よく彫るために石の凹凸を利用している。

○像の周辺の草は刈っていないが、像を自然にとけ込ませるために、わざとこのままにしてある。→よく見ると、藪の中にも「少年よ大志を抱け」石碑があったりする。

○今まで何度かテレビや新聞で紹介された。一番大変だったのが、みのもんたの思いっきりテレビの取材。ほんの10〜15分くらいの放映のために、4日間も撮影した。こっちが気の利いた台詞を言ったりするまで何度も同じようなことをさせられて、とても疲れた。テレビ局の人もいい映像が撮れないと周囲から叱られるらしいので大変だなぁ。

髪処・化粧屋という美容室足湯があり、そこに最近、七福神の彫刻を置かせてもらっている。七日ごと(七のつく日という説もある)に七福神がここにやってくるので、足湯に入ると福がつく、という伝説も作った(笑)。行ってごらん、と青木氏。
私「実はその情報、ネットで入手ずみなんです」と言ったら、青木氏は「自分はネットをやらないので・・・そんな情報も出ているんですか」と驚いていた。

私のことは、「こんな人初めて見た。あんたいい意味で変わってるね」とたいそう気に入った様子。HPへの掲載も了解取れた。嬉しいねぇ(^_^)

●石仙人・青木恒男さんの住所(理容ふたば)
長野県諏訪郡下諏訪町社6877−69

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