神長官守矢史料館(2)

外観写真を撮っていたら、館内から初老の男性が出てきた。この方が守矢家のご当主なのだろうか?非常に親切な方で、守矢家や祭祀について、マンツーマンでいろいろ解説して下さった(^_^)

あまり広くない館内には常設展示室と、企画展示室があり、常設展示の方は撮影自由。

前宮の十間廊では、毎年4月15日に神事(御頭祭)が行われている。江戸時代までは儀式に鹿75頭と、ウサギ、猪など、狩りの獲物が使われた。現在ではさすがにこれは無理なので、鹿の剥製を使って神事が行われているそうだ。

←常設展はかつての祭りを再現したもの。

ウサギの串刺し、猪の皮、鹿の皮を焼いた物など。

シュールなオブジェのようだ(゜Д゜)
イノシシも混ざっていた。

真下から見ると、鹿と猪のジェットストリームアタックww

耳裂鹿生首。左側の耳が裂けている。

かつて、75頭の鹿を獲ると、耳裂鹿が必ず一頭いた。これは諏訪の七不思議の一つだったそうだ。耳裂鹿は神の矛にかかった鹿とみなされた。

鹿の脳漿と肉を和えたもの(脳和)、生鹿、生ウサギの肉。

もちろん、プラスチックの模型。

儀式に使う道具もいろいろ展示されていた。

一番興味を惹かれたのが「サナギの鈴」。初めはサナギだからカイコの繭で作られているのかと思ったら、鉄銅に布製のカバーをつけた構造で、おカイコさんとは関係ないようだ。

ミシャグジ神の鈴として考えられ、武田時代、トラブルの裁定にも使われたそうだ。

写真を撮っていたら、男性数名の団体が入ってきた。係の方とお話しているのを聞いていたら、名古屋から来た方々で、諏訪大社とユダヤとの関係について調べているそうだ(゜Д゜)

○ユダヤの祭りではヒツジが生け贄→諏訪大社との類似
○子供を神の依代として柱に縛り付ける→諏訪大社との類似。ちなみに、諏訪は子供は御神(おこう)と呼ばれ、子供を縛りつける柱は御贄柱(おにえばしら)と呼ばれている。昔は儀式で子供を殺したそうだ。
○ミシャグジとイサク(聖書に名前が出てくる人)の名前が似ている
というのが、諏訪大社=ユダヤ関係説の根拠だそうだ。

「キリストが日本に渡ってきていた」ということが記されている竹内文書と関係があるのか?と質問したら、この件とは関係ない、とのこと。B級ネタにもいろいろ系列があるようだ(^_^;)

神長官守矢史料館の方は、「その件についてはこちらでは特に把握していることはありません」と返答していた。

【参考書籍】「日本・ユダヤ封印の古代史」(徳間書店、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著)
国が滅びてバビロン虜囚となったイスラエル十部族が中国に来たのは間違いなく、さらに日本まで渡ってきていたのではないか、ということが、いろいろな点から検証されているそうだ(私は未読)。

杖突峠の近くの守屋山も守矢家と関係あるそうだ。ちなみに、茅野、諏訪界隈では守矢という名字よりも守屋の方が多いとのこと。

●神長官守矢史料館
長野県茅野市宮川389-1、0266-73-7567
9〜16時半、月、12/29〜1/3休、祝日の翌日休、100円

帰ろうとしたら、係の方は、私がバイクで移動中なのを確認してから、「近くに小袋石(おふくろいし)という巨石と、高過庵という面白い建物があるから寄ってご覧」と助言してくださった。

史料館脇の坂道を登っていくと、斜面の畑の中に高過庵があった。これも藤森氏の建築である。

藤森氏はここの出身で、自分の地所の中に茶室として高過庵を作ったそうだ。下のハシゴがはずされているので、外から見るだけ。怖そうだけど、中に入ってみたい。

小袋石(おふくろいし)は、高過庵のさらに上。舗装路に看板が出ているが、最初は見落として行き過ぎてしまった。看板の前にバイクを停め、山の斜面に入り込んだ。磯並社という小さなお社があり、その先ということだが、道がはっきりしない。適当に登ったら、2分で小袋石発見!でかい石だ。

小袋石は巨石信仰の対象だったそうだ。形状から別名船つなぎ石とも言われており、以前はここまで諏訪湖の水面が来ていたと言われている(科学的根拠はないのかな?)

次の目的地は上社本宮の宝物館。ここには、サナギの鈴、儀式用の鹿角の印、太刀などかつて守矢家が所蔵していた宝物がたくさん展示されていた。明治初期の神仏分離のために所有権が諏訪大社に移ったらしい。長野冬季五輪で選手に配られた薙鎌型のお守りも展示されていた。(撮影禁止なので、画像無し)。

●諏訪大社
公式サイト

続いて諏訪市博物館に入ったが、御柱についての資料は比較的豊富だったのに、薙鎌、ミシャクジ神関係の資料は皆無に近い状態だった。

●諏訪市博物館
公式サイト

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