|
南無谷トンネル |
内房線・南無谷トンネル(廃線トンネル)は、全長736m。大正7年(1918年)から内房線(当時は北条線)のトンネルとして使われていたが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で中央部240mが崩落。その他、無数の亀裂や変形を生じた。同年11月28日にいったん復旧したものの、危険なため、大正15年(1926年)11月から内房線は新ルートを走ることになり、南無谷トンネルは廃止された。ちなみに、新トンネルは南無谷が「南無妙法蓮華経」に通じる★との意見が出たため、岩富トンネルと名付けられた。
★「南無妙法蓮華経」ではなくて、「南無阿弥陀仏」が正しいのでは?という指摘がありました。調べたら、後者が正解のようです。ご指摘ありがとうございました。
【参考サイト】
その1(「千葉の県立博物館」内)
その2(「千葉県の近代産業遺跡」内)
トンネルへの行き方は下記のサイトを参照させて頂いた(現在はパスがかかっていて見ることができない)。
http://boso-railway.blog.ocn.ne.jp/kimidori/2005/05/post_1de2.html
【富浦側入り口】
「国道127号線の南無谷の押しボタン信号から山側へ入り、ここまで徒歩約15分くらい」という記述を参考にアクセスした。
富浦側坑門へのルートは、車とバイクのすれ違いもできないような細い道がメイン。四輪で入るのはかなり勇気がいるかもしれない。
集落から離れ、ビニールハウスの間を通り、山の中へ。やがて、左手の「川」の中に立派なレンガ造りのトンネルが現れた。 |
あれが南無谷トンネルだよね?でも。あそこって川なんじゃ? |
覗き込んでみると、川のように見えるが、ほとんど水が無い。やはり元鉄道線路跡の切り通しらしい。方位磁石で試してみると、トンネルは北向き→向きも間違いなし。だめ押しに通りかがった軽トラの人に訊いてみたら、間違いなく廃線トンネルだそうだ(^_^) |
| 切り通しのノリ面は観賞用のソテツ畑として使われていた。かなりの急勾配で、しかもソテツはトゲだらけなので触れると痛い。 |
注意深く足場を確保しながら下に降り、トンネルを覗いてみた。内部には水がたまっているため入ることはできない。
出口側の明かりは見えない。ということは、トンネルが曲がっているか、中で崩落してるか、どちらかにちがいない。確かめてみたいが、長靴かウェーダーが必要。 |
![]()
このトンネル、レンガ部分に亀裂が入って、草まで生えていた。関東大震災の被害か? |
国道に戻る途中、旧線跡がどうなっているか見てみたら、切り通し部分がしだいに上昇し、最後は築堤になって現行線と合流していることがわかった。このあたりの線路跡は畑や藪になっており、侵入不能。 |
現行線は高架橋で道路を跨いでいる。
近くに車を停めて、高架橋の脇の築堤の上に登っている人がいた。期間限定のD51・南房総号狙いの方々である。私もご一緒させて頂いた。 待っていたら、館山側からディーゼルカー出現。編成の最後尾がSLだった。牽引されて走るSLを見たのは初めてなので変な感じ。私たちに対して汽笛鳴らして大サービスなのは嬉しいが、煙が手前に流れてやっぱり変(^_^;) |
【岩井側入り口】
「岩井側の抗口は国道からすぐで、50メートルぐらい入ったところにある。場所は小浦の枇杷直売所の建物脇から入って、現在線の岩富トンネル出てすぐの鉄橋をくぐると、旧線の橋台があり、そこから農家の細い道を登ると、旧線と現在線の合流地点。そこに立つと、現在線のトンネルよりも、更に奥まったところに、旧線トンネルの岩井側抗口が口を開けているのが見える。」と、当該サイトに記述されていた。
目印になる「びわ直売所」はここ。岩井側から国道を南下すると目立つ建物である。 |
現行線ガード。 |
旧線の橋台はその奥。 |
木の板の橋を渡って橋台上に出たら、トンネル入り口が見えた。
手前のフェンスは隙間が開いていて、一見ウェルカム状態。しかし、その手前の泥ヌタがすごくて、うかつに足を出すと足首までもぐってしまいそうな状態だった。今日は革の登山靴なのだが、これじゃあ歯が立たない。ゴム長が要るよね。ということで、岩井側入り口は遠くから眺めておしまい(残念) |
橋台上から千葉方面を見たところ。長年の間に木が生え、整地され、鉄道跡の痕跡はなくなっていた。 |