ポートクロダ(2)

昭和30年頃、政府高官?が特注したテレビ。ワンオフものらしい。

黒田氏がレコード屋を経営していたことに由来するコレクション。

昭和14年のニュースポスター。黒田氏の祖母の使っていた大日本国防婦人会たすき。

用途不明の医療器具。
千葉県印旛村の医科器械資料館を思い出した。

現在、アクセス不能の名勝・はさみ岩の写真。
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満州国建国功労賞の賞状。
黒田氏の親族に東京帝国大学工学部を出た方がいらっしゃり、技術者として満州に渡り、満鉄建設に貢献して頂いたものだそう。

古書も読み放題。
「明治の家庭」という雑誌。

100年前の雑誌!こんな貴重なものが自由に触れるのも個人博物館のいいところ(^_^)

大正8年(1919年)の「新青年」創刊号。

この中に気になる記事が・・・。

巻末に「特別付録」「次の戦争」「日本戦争未来記」というページがあった。

内容はこの号には書かれていなかったので、詳細は不明だが、要するに米国との戦争に備えて、軍備や経済を整えよ、という意味のものらしい。太平洋戦争開戦の26年前だが、この頃から米国との戦争を予想している人がいたのだな(゜Д゜)

他の展示物を列挙。

150年前の雛の吊し飾り、250年前の押し絵雛の掛け軸、250年前の享保雛、西郷隆盛の書、昭和16年10月になんとか大将、少将が書いた書、乃木大将の自殺の当日の写真、江戸時代の日本地図、源頼朝公書(原本は傷みが酷いので写真を展示)、関東大震災絵葉書、地下鉄開通記念絵葉書(昭和2年浅草線開業)、明治44年長者番付、常陸宮様が昭和30年代に稲取にいらっしゃった時の写真、美空ひばりブランドの酒、炭を入れて使う昔のアイロンと火のし、焼き印、古い火鉢、石臼、「天保13年寅年 御仕置五人組帳写 片瀬村」、明治25年の読売新聞、昭和16〜17年のサンママグロ漁大漁の写真、戦前の鉄道信号の本、鉄道時刻表(樺太、台湾、大連への船便も掲載)、古瀬戸の陶器、百年前の端午の節句の幟、大正6年の三越パンフ、砲台配置図が数枚(一枚は島の形から八丈島のものらしいが、他は不明)、空海が書いたといわれている書(写真展示)、明治時代の修身の教科書・・・・

個人の所有物としては質、量ともすごいものが展示されていた。黒田氏の祖父をはじめとして、親族に名士と言われる人が多かったことと、祖父がコレクターだったことが、現在のコレクションに繋がっているようだ。稲取が戦災や地震で焼けなかったのも一因らしい。

「稲取に震洋基地があった筈ですが?」と質問したら、黒田氏は「私は戦後生まれなので、当時のことを見たわけではありません」とことわりながら、震洋隊員のK氏から聞いたお話をして下さった。
稲取には間違いなく震洋基地があった。

格納庫は稲取港の脇、現在、伊豆急のトンネルが通っているあたり(赤矢印)。崩れるとやっかいなので、埋められ、コンクリ壁にされて、今では何も残っていない。

米軍が沖に来るたびに、部隊は震洋で出撃した。震洋のスピードはかなりのものだったが、米艦艇の逃げ足が速くて追いつけなかった。
終戦後、米軍が震洋を接収し、熱海あたりに集めて試乗していた。

震洋基地があるということで、稲取は何度か爆撃されている。墓地や農協倉庫?が被害にあった。農協倉庫からは砂糖や米がこぼれ、住民がボーナス気分で自宅に持ち帰ったそう。

稲取界隈にも地上砲台があったらしい(詳細不明)。

黒田氏はこの他に、戦艦大和の生き残りの人が会いに来た話や、義経生存説を信じる人が証拠を携えてやってきた話をなさっていた。こういうものを展示しているといろいろな人と縁ができるらしい(^_^)

黒田氏「戦跡等についてまた調べたいことがあったら、いつでも立ち寄って下さい」「朝陽館の方も宿泊に利用して下さいね」「うちのお店を宣伝してくれると助かるなぁ」とのこと。ハイ、HPで宣伝させていただきます。

ということで、朝陽館の宣伝。

朝陽館は稲取市街地から少し離れている。海岸沿いの旧国道を進み、道が左側に登り始めるところを登らず、右側に入ってすぐ。
寝袋不要で、20人程度の大人数での利用も可能です、とのこと。

●ポークロ物流サービス (有)ポートクロダ 黒田電気店
静岡県賀茂郡東伊豆町稲取763、0557−95−2208
お店の営業時間は年中無休、8時半〜18時

●貸別荘 朝陽館
静岡県賀茂郡東伊豆町稲取3009−8、0557−95−2802
管理事務所はポートクロダ。一泊素泊まり3500円

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