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石垣島・バンナ公園の戦争マラリア犠牲者慰霊碑 |
バンナ公園南口入ってすぐの駐車場(西駐車場)脇に「石碑の森」がある。
ここの石碑群の一つに97年に除幕された「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑」がある。 このページ(「AoXoMoXoA」内)には、政府が戦争マラリア犠牲者に対する個人的な補償を拒否した代わり、この碑と八重山平和祈念館が作られたということと、碑文の強制疎開に関する部分に軍のしたことを正当化するような表現があり、一部の遺族が反発したことが書かれていた。 |
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マラリア犠牲者慰霊碑の隣に二つ、戦争関係の慰霊碑があった。
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独立歩兵三〇〇大隊慰霊碑「鎮魂」。
「八重山の戦争」大田静夫著、南山社によると、この部隊は別名球六三六四部隊。1944年6月に徳島で編成され、沖縄への航行中、徳之島沖で米潜水艦により撃沈、3700名が行方不明になった悲劇の部隊である。その後、再編補充して、44年9月に石垣島に上陸、於茂登岳を中心とする石垣島東北部を防衛していた。戦死者5名、マラリアによる病死者36人、負傷者5人を出している。碑は1985年建立。 |
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宮田部隊慰霊碑「忠魂之碑」。 「八重山の戦争」大田静夫著、南山社によると、宮田部隊は独立歩兵二七一大隊(球六四七六部隊)。1944年8月に丸亀で編成され、石垣島に上陸し、バンナ岳を中心とする地域を守備していた。飛行場の弾痕補修作業や陣地構築作業中に死亡者47名を出した。この他、マラリアによる犠牲者も多数。そして、この部隊は老人や30代の兵士などが多い「寄せ集め部隊」だと書かれていた。 本には戦後すぐの時期に建てられた碑が掲載されていた。私の見た宮田部隊慰霊碑は最近、再建されたもののようだ。 |