藤倉学園園児の墓

「藤倉学園園児の墓」は清里の萌木の村(地図)の裏手・八ケ岳霊園内にある。

藤倉学園は1919年創立の、伊豆大島にある知的障害者の保護施設である。「山梨の戦争遺跡」(山梨県戦争遺跡ネットワーク編)によると、1944年、旧日本軍から、「伊豆大島に米軍上陸の可能性がある」ということで、本土へ疎開命令が出た。当時の園長・川田貞治郎氏は、苦労のすえ、清泉寮を買い取り、1944年8月15日に清里に移ってきた。しかし、その後、冬期の寒さと、食糧難のため、10名の園児が翌年の春までに亡くなってしまった。清里には小河内ダムのために水没した丹波山村、小菅村から開拓団が入植しており、彼らの中からも犠牲者が出ていたが、開拓団の方が開拓団の墓地まで園児の遺体を運び、埋葬した。終戦後、ポール・ラッシュ氏から清泉寮からの退去を命ぜられた川田氏は、大島で苦労しながら学園を再建されたそうだ。

萌木の村の観光客に混じって霊園探し。霊園は本当に萌木の村のすぐ隣だった。

あまり広くない霊園なので、藤倉学園の園児の墓はすぐにわかった。お地蔵さんと十字架と鎮魂之碑が立っていた。1994年、学童疎開50周年ということで、お墓の整備が行われたとのこと。
手を合わせて犠牲になられた方の冥福をお祈りした。

数十メートル先ではこんなものがあることも知らず、観光客が趣味の店に出たり入ったりしていた。渡良瀬遊水池に行った時と同様、「私たちの幸福は、他人の不幸の上に成り立っているのだ」ということを感じた。

藤倉学園の公式サイト