伊江島反戦平和資料館(2)

書かれていた文章がまた凄かった。

広島を忘れるな 長崎を忘れるな 沖縄を忘れるな 伊江島を忘れるな 過去を忘れる者はもう一度それを繰り返す。

ゲンバクを落した国より落させた国の責任は重い。

戦争は誰がつくるのか。勉強しましょう。

・・・・戦争に敗れて植民地が無くなると生活はよくなりました。なぜでしょう。学習しましょう。
他にも考えさせられる文章多数。

この施設は学習の場。自分の頭で考えましょう。ということだ。

施設の資料と、阿波根氏の著書「米軍と農民 −沖縄県伊江島−」(岩波新書、1973年)「命こそタカラ 沖縄反戦の心」(岩波新書、1992年)を参考に、太平洋戦争以降の伊江島の歴史について、まとめてみた。

1943年に、伊江島陸軍飛行場新設工事が始まった。1945年3月、守備隊による破壊工事が行われ、4月16日に米軍が上陸。米軍との間に住民を巻き込んだ戦闘が行われた。21日に部隊が玉砕し、戦闘終了。この戦闘で住民の半分以上が殺された。

沖縄戦の時、伊江島で。

「泣く子は利敵行為だ!」ということで、銃剣で刺し殺された。

展示されている服はその幼児が着ていた服。

壕の中で泣く子は 母親が・・・ 友軍が・・・ こうして・・・!
「無縁洞」と書かれた祠。

日本軍も米軍も同じ犠牲者である。
ちなみに、伊江島戦で、米軍も従軍記者アーニー・パイルをはじめ、800人が死んでいる(300人説もあるらしい)。住民の死者は1500人。死者が合わせて4300人と書かれているので、日本軍死者は2000人なのだろうか。

→続きはここをクリック

→「伊江島反戦平和資料館(1)」に戻る