伊江島反戦平和資料館(6)

米軍基地の近くにある団結道場

壁や塀に米軍や見学者へのメッセージがたくさん書かれていて、この建物が普通の施設でないことをアピールしていた。

○米軍に告ぐ
一、土地を返せ ここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地だ
一、侵略者伊藤博文東條の悲劇に学べ 汝らは愛する家族が米本国で待っている
一、聖なる農民の忠告を聞け さらば米国は永遠に栄え汝らは幸福に生きのびん
○剣をとる者剣にて亡ぶ(聖書)
○基地を持つ国は基地にて亡ぶ(歴史)
1955年5月 伊江島土地を守る会

○再び戦争の犠牲になるな!伊江島には核模擬爆弾の演習基地がある
○演習地を直ちに撤去せよ!
○他国民に与えた不幸は必ず自国民に返ってくる
○戦争は誰を守るために誰が命令して誰が殺し合いをさせられるのか歴史に学ぼう
○貧乏や庭ん 金持ちぬ庭ん えらばずに咲ちる 花ぬ美事
○人を呪わば穴二つ
○みんなの宝は土から生まれる
○土地を守る者村を守る国を守る悪は亡び善は栄える

道場のすぐ近くに米軍基地がある。

フェンスの向こう側の土地は未だ、地主に返却されぬまま。
昔、米軍が立てた境界標か?

現在は一般人が自由に出入りできる土地の中にある。阿波根さんたちの運動で、米軍地が縮小した証拠物件なのでは?

こちらは謎。地主側が設置したものか?

南海岸にある洞窟・ニヤティヤ洞

1000人は入れるサイズだというので、千人洞という名前がつけられている。この洞窟には戦時中、たくさんの住民が避難し、命を救われたそうだ。

アーニーパイルの碑。

アーニーパイルは1944年に戦場写真でピュリッツァー賞を受賞したカメラマンである。彼の遺体はハワイの墓地にあるが、伊江島戦で亡くなったので記念碑がここに建てられた。当初は慰霊碑を彼の墓標とし、その周囲を戦死者の墓地にしようという案があったそうだが、彼が軍のシンボルとなるのに反対した人々がいたため、現在の形になったそうだ。死亡時、彼は上陸作戦に参加するのに嫌気が差しており、伊江島戦を最後に上陸作戦から引退するつもりだったそうだ。

港近くの被爆慰霊碑。

ヒロシマ・ナガサキか?と思ったが、行ってみて「被爆」の意味がわかった。

終戦後、米軍は不発弾を島外に運び出す作業を行っていたが、1948年8月6日、伊江島港に停泊中のLCT(戦車上陸用舟艇)で爆発事故が起き、ちょうど、本部から着岸した連絡船も巻き込んだ大事故になった。死者は102名に達した。講和条約締結前だったので、当時は米軍が補償に応じず、後でわずかな見舞い金が出されただけだったそうだ。

4ヶ月前に美ら海水族館に行った時、対岸から見た伊江島。ただの離島だと思ったら、こんなにたくさん見所があるなんて。恐れ入った。まだ芳魂の塔(戦争慰霊碑)、公益質屋(爆撃され、壁に大穴の開いた廃墟・戦争遺跡)など見ていないので、機会があったら、再訪したい。

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