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伊江島反戦平和資料館(6) |
米軍基地の近くにある団結道場。
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壁や塀に米軍や見学者へのメッセージがたくさん書かれていて、この建物が普通の施設でないことをアピールしていた。 |
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○米軍に告ぐ ○再び戦争の犠牲になるな!伊江島には核模擬爆弾の演習基地がある |
道場のすぐ近くに米軍基地がある。
フェンスの向こう側の土地は未だ、地主に返却されぬまま。 |
昔、米軍が立てた境界標か?
現在は一般人が自由に出入りできる土地の中にある。阿波根さんたちの運動で、米軍地が縮小した証拠物件なのでは? |
こちらは謎。地主側が設置したものか? |
南海岸にある洞窟・ニヤティヤ洞。
1000人は入れるサイズだというので、千人洞という名前がつけられている。この洞窟には戦時中、たくさんの住民が避難し、命を救われたそうだ。 |
アーニーパイルの碑。
アーニーパイルは1944年に戦場写真でピュリッツァー賞を受賞したカメラマンである。彼の遺体はハワイの墓地にあるが、伊江島戦で亡くなったので記念碑がここに建てられた。当初は慰霊碑を彼の墓標とし、その周囲を戦死者の墓地にしようという案があったそうだが、彼が軍のシンボルとなるのに反対した人々がいたため、現在の形になったそうだ。死亡時、彼は上陸作戦に参加するのに嫌気が差しており、伊江島戦を最後に上陸作戦から引退するつもりだったそうだ。 |
港近くの被爆慰霊碑。
ヒロシマ・ナガサキか?と思ったが、行ってみて「被爆」の意味がわかった。
終戦後、米軍は不発弾を島外に運び出す作業を行っていたが、1948年8月6日、伊江島港に停泊中のLCT(戦車上陸用舟艇)で爆発事故が起き、ちょうど、本部から着岸した連絡船も巻き込んだ大事故になった。死者は102名に達した。講和条約締結前だったので、当時は米軍が補償に応じず、後でわずかな見舞い金が出されただけだったそうだ。 |
4ヶ月前に美ら海水族館に行った時、対岸から見た伊江島。ただの離島だと思ったら、こんなにたくさん見所があるなんて。恐れ入った。まだ芳魂の塔(戦争慰霊碑)、公益質屋(爆撃され、壁に大穴の開いた廃墟・戦争遺跡)など見ていないので、機会があったら、再訪したい。