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石垣島・明和大津波の津波石と慰霊碑 |
1771年(明和8年)、宮古島と石垣島界隈でM7.4の大地震が起き、直後に大津波が襲った。標高85.4m!の高さまで達した津波により、石垣島の40%が水没し、人口の三分の一が失われた。八重山全体では9313人が死亡(うち宮古2548名)。特に石垣島、波照間島、黒島、新城島が酷い被害を被った。
石垣島の大浜崎原公園(場所)に大津波で打ち上げられた津波石(津波大石、つなみうふいし)がある。
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特に看板はなかったが、津波石はすぐにわかった。穴だらけ巨石(二階建ての家くらいのサイズ)があり、上に木が生い茂っていた。津波が転がした石なので、地面から浮いた感じである。検索したら、この石は実はサンゴの塊で、周囲38m、体積推定350立方m、重量推定840tだそうだ。 |
この公園のすぐ先は海である。 |
次は、宮良の津波慰霊碑。R360を離れて、丘の上に登っていく(アバウトだが、だいたい場所はこのあたり)。
「明和大津波遭難者慰霊之塔」の看板を見つけ(画像)、曲がったら、突き当たりに同じ看板があった。ん・・・行きすぎた? 戻りながら、ここ以外考えられない!という未舗装の脇道を見つけた。 |
原付スクーターが腹こすりそうなので、歩いて坂道を登ったら、丘の頂上に出た。
左手に大石が転がっていた。崎原公園のものよりは小さいが、これも津波石? |
さらに先に進むと、道は下り坂になり、石垣島南東方面の海が遠くの下の方に見えた。ええ〜!ここはどうみても標高50mはありそう。この界隈(宮良)で標高85mの高さに波が到達したという記録や、丘を乗り越えた津波が反対側に流れ落ちたという記録もあるので、ここまで波が到達した可能性はあるだろう。って、説明看板がないので、結局、この石が本当に津波石かどうか、確たる証拠はなかった。 |
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「明和大津波遭難者慰霊之塔」は、道の脇の草むした敷地の中にあった。ここに来る人は少なそうだ、と脚で藪をかき分けながら思った。脇に明和の大津波についての説明板があった。石垣島の人口の三分の一を奪い、凶作などの影響もあり、その後の島の歴史に長らく悪影響を与え続けた津波・・・。合掌。 |