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八重山平和祈念館 |
石垣島市街地にある八重山平和祈念館は、県立施設なので、冷房の入った過ごしやすい施設だった(^_^)
受付で訊いたら、一枚、著作権上問題のある写真があるが、後は撮影自由、掲載自由とのこと。写真を撮りながら回ることにした。 |
この博物館のテーマは「戦争マラリア」。
太平洋戦争末期、軍部は八重山の住民に強制疎開命令を出した。その理由は「戦闘時、住民が邪魔だから」「住民が米軍に捕えられたら日本軍の情報を漏らすかもしれない」「住民から食糧や住居などを徴発するため」等。住民は石垣島北部、西表島等、マラリア有病地帯に疎開させられ、その結果、八重山人口36000人のうち、3647人がマラリアで亡くなった。
中でも酷かったのが波照間島。住民全員が西表に疎開させられ、大半がマラリアに感染、学童(66人)も含めて島民の三分の一(488名)が亡くなった。
波照間島の被害がこんなに大きくなった元凶は、昭和20年2月初めに島に赴任した波照間青年学校指導員・山下虎雄という人物である。彼は陸軍中野学校のスパイ(離島残置諜者)で、山下は偽名だった。彼は島民に取り入り、島の地形、家畜がどこにどのくらい飼われているのか、住民が隠れるような場所はどこか、など調べ上げ、3月に入り、住民に突然疎開命令を出した。住民の中に反対する者もいたが、彼は日本刀を振り回して住民を従わせた。疎開に家畜の同伴は許可されなかった(これについては異論があり、「八重山の戦争」には「家畜同伴を許可した軍人がいた」と書かれている)。住民が去った後、残された家畜は日本軍が潰して軍用食糧として徴発した。住民の大半は西表の中でもマラリアの多い南風見に疎開した。そこでも山下は暴君としてふるまった。彼の暴力で死亡する島民もいた。山下は自分はマラリアの無い由布島(西表から地続きに近い)に居を構えたが、南風見の疎開民の間にはマラリアが蔓延した。全滅の危機に瀕した島民は7月に石垣の旅団司令部に代表を送り、8月に波照間に引き上げてきた。しかし、波照間では家畜は全て殺され、家や田畑が荒れ果てていたため、帰島後もマラリア、栄養失調による犠牲者が増え続けた。
西表を去る時、南風見の浜の岩の上に識名校長が「忘勿石(この石忘るなかれ) ハテルマシキナ」と刻んだ。現在、その場所には立派な石碑が建てられている(レポ)。
強制移住の悲劇は、石垣島、新城島、鳩間島、黒島、小浜島などでも起きていた。このうち黒島には山下と同じような軍のスパイが学校教師として赴任していたそうだ。住民は石垣島北部(マラリア有病地帯)、西表島に強制疎開させられ、波照間と同じような悲劇が起きた。
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戦争マラリアについて、わかりやすく、図表を使って説明されていた。右のグラフでは、戦時中のマラリア犠牲者が突出していることが一目瞭然。 |
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疎開先で住民はこんなあばら屋に住み、こんな道具で炊事を行っていた。 |
マラリアによる高熱で倒れた母子。当時、住民の手にマラリア特効薬のキニーネは渡らず、頭部に水をかけて冷やしたり、よもぎの汁を飲ませたりすることしかできなかった。 |
避難地から発掘された当時の生活道具。 |
戦後にマラリアが撲滅されるまでの顛末についても展示されていた。
当時、住民を啓蒙するために貼られた紙。 |
マラリア原虫保有者名簿、脾腫患者名簿。 |
蚊を根絶するために使われた噴霧器。 |
活動の甲斐あって、1962年に、沖縄のマラリアはほぼ根絶、と発表された。
93年に「沖縄強制疎開マラリア犠牲者援護会」が結成され、「軍命のために多数の犠牲者が出た、責任は国にあり」と、国に国家補償を求めた。ところが、国は国内外の戦没者へ補償問題が波及するのを恐れて、責任を認めず、「戦傷病者戦没者遺族等救援法(援護法)」の適用を拒否、個人補償も行おうとしなかった。
1995年に政治的解決が行われ、その予算で、97年に石垣市バンナ公園に戦争マラリア犠牲者慰霊碑が建てられ、98年に八重山平和祈念館が開館した。 |
ビデオコーナーでは、「石の声 −沖縄戦マラリア地獄の記録−」という子供向けアニメを見た。波照間の悲劇を扱ったもので、書籍「ハテルマシキナ」よりさらに低年齢層が対象のようだ。子供にはこういうソフトを見せるのがいいかもしれない。 |
| この博物館には、防空壕、気象台の塀の弾痕など、八重山に存在する戦争遺跡の画像も展示されていた。興味があったので、受付にいらっしゃった係の女性に質問してみたら、快く、気象台の塀、石垣空港脇の掩体壕の場所を教えて下さった。
塀は現在、新しいのに建て替えられ、弾痕の塀は新栄公園に移設されている、とのこと。また、掩体壕は、彼女の教えてくれた場所が間違っていたものの、周囲の状況(最近、草が刈られて見学者のための道ができた、道路からは全く見えない)を教えて下さったので、感謝感謝m(_ _)m |
最期に、別室に展示されていた「戦争体験者が描く沖縄戦の絵」展を見に行った。
絵に体験者の証言文がつけられていて、与那国・久部良集落のカツオ工場空襲、西表の船浮要塞の見取り図、台湾疎開石垣島民慰霊碑(昭和20年6月、尖閣諸島付近で台湾に向かう疎開船が銃撃で沈没)など、興味深いものがあった。 |
●八重山平和祈念館
沖縄県石垣市 新栄町 79-3、0980-88-6161
月休、年末年始(12月29日〜1月3日)休、100円
★参考書籍
○「少年長編叙事詩 ハテルマシキナ よみがえりの島・波照間」桜井信夫著、津田櫓冬画、かど書房
子供にも読みやすい絵物語だが、事実に基づいて書かれている。山下の蛮行についてはかなり詳細。大人も一読の価値あり。第三十九回日本児童文学者協会賞と第三回三越左千夫少年詩賞の特別賞を受賞。
○「八重山の戦争」大田静夫著、南山社
戦跡地図なども掲載されていてマニアック。真剣に八重山の戦跡巡りをしたいのなら必携。また、この本には波照間に悲劇をもたらした山下(本名・酒井清)へのインタビュー記事(1989年、琉球新報)も載っている。一見の価値あり。
★参考ページ(「AoXoMoXoA」内)