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与那国民俗資料館(1) |
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祖納郵便局の隣にある与那国民俗資料館は二階建ての建物で、1階が資料館だった。ドアが開けっ放しということは、冷房無しのようだ。沖縄って暑いからどの施設も冷房完備かと思ったら、そうじゃないのね(^_^;) |
建物の中には年配女性がいらっしゃった。この施設の館長さんである。ガイドブックによると池間苗さんというお名前だそうだ。非常にフレンドリーな方で、接客業が楽しくて仕方ない、といった様子。大正時代に与那国で生まれた方だそうで、両親が郵便局を経営していたとのこと。熊本の女学校に行っていたこともあるが、与那国に戻ってきて、資料館を開いた、とおっしゃっていた。
池間氏は扇風機を回しながら、お茶菓子とお茶を出して下さった。田舎のおばあちゃんの家を訪問したような感じだ(^_^) いろいろお話を伺った。
○子供の頃、標準語励行運動というのがあり、方言を使うと怒られた。沖縄の僻地の与那国に住んでいるということが恥ずかしかった。
○戦前、台湾旅行をした話。与那国から直接船で行くことができた。
○初めて海外旅行に行った話。羽田まで行くのが大変だったが、楽しかった→この件については、よほど楽しかったらしく、話が2周、3周していた(^_^;)
戦時中の話をして下さい、とお願いし、貴重なお話を伺った。
○戦時中、軍隊は石垣島、西表島には飛行場や要塞を作ったが、与那国島には小さな部隊が来ただけだった。強制疎開もなし。そのへんの山に偽砲が設置された。郵便局には電信装置があり、軍隊が時々通信を行っていた。
○祖納集落で機銃掃射されそうになり、死ぬかと思った。軍隊が駐屯して偽砲なんか設置するからだ。久部良集落のカツオ工場は爆撃され、全壊。周囲の民家も焼失。死傷者が出た。
★「八重山の戦争」(大田静男、南山社)によると、久部良集落、祖納集落とも、機銃掃射だけでなく、爆撃で集落の大半が焼き払われた、と書かれていた。
○遠くの方に飛行機が爆弾を落とすのが見えた。その攻撃で軍人さんが亡くなったと聞いた。
○自分の兄の中に戦死した者がいる。戦争はもうこりごりだ。
とのことだった。
続いて、展示物の説明をしていただいた。展示物はあまり広くない展示室に大量に、しかも整然と並べられており、館長さん手書きの説明文がつけられていた。 |
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お産の日から十日間、家の前に掲げる結び縄(シルンナ)。 |
植物繊維(麻か?)を編んで作ったゆりかご(アミナグ)。天井から吊して使う。 |
米寿のお祝いに使う、竹を加工したもの(トゥガティ)。 |
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機織りの機械、紡いだ苧麻(ブー)をまとめたもの(ブーブックミ)。 |
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島で織られた布。 |
子守着(クゥミヤ)「着物のような形をしていて、赤ちゃんをおんぶする時は袋のようになる」「与那国独特」とのこと。 昭和35年頃まで使用されていたそう。 |
| 麻織りの蚊屋(ブーカタ)。 昔は与那国はマラリア有病地帯だった。戦時中、石垣島周辺の島嶼と違い、マラリア有病地帯への強制疎開命令は出なかったそうだが、戦災で家を焼かれた人が洞窟などに避難し、相当数のマラリア患者、死者が出たそうだ。 |