銚子の戦争遺跡(1)

「千葉県の戦争遺跡をあるく」に載っていた銚子の戦跡を見て回ることにした。

【戦災復興記念碑】地図

銚子は米軍に重要戦略拠点と認識され、昭和20年3月、7月、8月に空襲を受けている。被害の規模は千葉市についで大きい。亡くなられた方の数は340人だそうだ。この記念碑がある場所も戦災によって焼け野原になったところである。その後長い時間をかけて銚子市は復興し、この碑は1982年に建てられた。

【旧公正会館(銚子市公正市民館)】地図

二階建ての格式ある建物(1924年竣工)だ。45年7月の空襲時、ここが臨時病院になり、地獄のような有様だったそうだ。

【飯沼観音】地図

以前、銚子電鉄各駅巡りのさい、立ち寄った場所だが、観音様に機銃掃射の跡が残っている。

観音様の台座に5センチくらいの円形の跡がぽつぽつついていた。これが弾痕を補修した跡だそうだ。言われないとわからない。

【震洋格納壕】地図

「清水町と弥生町の境の崖の斜面」という文句を手かがりにマップファンで当たりをつけ、坂道を登ったり降りたりしながら現場に到着。

バイクを住宅地の中の道路に停め、洗車中の人に聞き込みしたら、たしかにその崖に特攻用モーターボートをしまっていたといわれる穴がある、とのこと。その方は戦後産まれだと思われるので、それ以上のことはご存じない様子。

崖の大部分はコンクリで固められていたが、

崖に沿って歩いていくと、水産加工会社の敷地内に、横穴を二つ発見した。

ポンプで水が流し込まれ、プールのようになっていた。生け簀代わりに使っているのだろうか?

本によると、戦争当時の穴の数は6個、22隻収容できる規模だったようだ。横浜ヨット銚子工場で作られた艇と爆薬を受領して訓練していたが、敗戦後の8月17日に出航し、「太平洋に向けてロケット弾を一世発射」して、爆弾を始末して帰還したそうだ。
また、銚子市外川にも震洋の基地があったそうだが、現在は何も残っていないとのこと。

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