群馬の森公園
岩鼻火薬製造所跡地(1)

県立群馬の森公園を中心とする地域には昔、「陸軍岩鼻火薬製造所」(終戦時の名称は「東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」)(1882〜1945年)があった。終戦後、敷地は日本化薬、群馬の森公園、日本原子力研究所の敷地になり、公園内の建物(100棟以上)は取り壊された。しかし、公園内には爆風避けの土塁が残っている。また、日本化薬、原子力研究所の敷地には当時の建物や塀が残っているそうだ。

まず、日本化薬の敷地周囲を検分。

この工場の敷地は無骨な塀に囲まれている。地元の年配の方に聞き込みしてみたら、火薬工場時代からの塀だという話だった。

県道沿いにある門から覗いてみると、工場敷地内に碑が見えた。これは「日本の戦争遺跡 保存版ガイド」 (平凡社新書)に書かれている、1944年4月の事故で亡くなった職員の頌徳碑ではないかと思うが、門が閉まっており、守衛さんもいなかったので、確認できなかった。

ちなみに、この火薬製造所では明治から昭和にかけて31回爆発事故が発生し、47名の犠牲者が出ているそうだ。これは軍の火薬製造所の中では最悪の部類らしい。

県道沿いのもう一つの門には「共栄門」と書かれていた。旧字体ということは、火薬製造所時代からこの名前が使われていたのだろうか?

県道を左折し、塀に沿って歩く。
日本化薬正門。

ここの守衛さんに、構内に残された戦争遺跡について質問したが、よくわからない、とのことだった。戦後生まれの方だから仕方ないか。

塀に沿って歩くと、
道はゆるやかな上り坂になり、川の堤防道路につきあたっている。塀はそこで途切れていた。

その付近に、こんなものがあった。「賠償指定」「大蔵省」などの文字が読み取れる。私には判読できなかったが、このページ「slycrow's Messy Nest」内)を見ると、「注意 本工場は賠償指定施設であるから、○○(許可?)無い者は出入りを禁ずる。大蔵省東京○○○」というふうに読めるそうだ。戦後すぐの時期の表示ではないかと思われる。

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