印西市の戦争遺跡(1)

印西市の千葉ニュータウンとその予定地には、かつて逓信省印旛地方航空機乗員養成所と、陸軍飛行第23戦隊印旛飛行場(通称・草深飛行場(そうふけひこうじょう))があった。

「平和の碑」(下記)と、「印西町の歴史」(下記)等に書かれていた飛行場の歴史は以下のとおり。

昭和13年 逓信省印旛地方航空機乗員養成所設立。★
昭和18年 拡張工事。★★
昭和19年10月 陸軍飛行第二十三戦隊配備。★★★
昭和20年8月 終戦、入植開始。
昭和41年 千葉ニュータウン構想。

★生徒数200名(「印西町の歴史」より)。
★★この時の拡張で、「2000m滑走路3本、兵員約3000名、戦闘機約200機」の規模になったそうだ(このページ(現在は消失)より)。
★★★この頃になると、養成所は縮小され、ほとんどが軍用飛行場になった(「印西町の歴史」より)

「千葉県の戦争遺跡をあるく」にも掲載されていないこの物件を私が知ったのは、Keiさん(サイト)から「無蓋掩体壕が幾つか残っているので、案内しますよ」と誘って頂いたからである。

千葉ニュータウンは予想ほど人が入らず、開発がかなり遅れている。それでも、開発のせいで、遺構のかなりが破壊されているそうだ。Keiさんから見せていただいた資料(「印西町の歴史」第三号 昭和62年3月31日発行 印西町町史編纂室編集)によると、無蓋掩体壕は、昭和57年10月には37基残っていたそうだが、現在は多くが破壊され、Keiさんの調査では、ため池の西側と北側に10基弱残っているだけだそうだ。

→Keiさんの作成した掩体壕の地図

【2008年1月の調査】

Keiさんの案内で、西の原公園場所)へ。ニュータウンの中の公園で、一角に「平和の碑」(印旛飛行場跡地記念碑建設委員会、平成15年10月があった。

裏面に飛行場の由来が彫られているのだが、つるつるした石のため、反射で写真が撮りにくかった。

次に、滑走路の一本の跡を利用した直線道路(場所)。

そして、メインイベントの掩体壕。

Keiさんのバイクにくっついて、原野(柵があったり草が刈られたり、一部は住宅地や田畑に転用されている)の片隅に駐車。
この界隈に掩体壕が七〜八基あるそうだ。

周囲は広場と森林と草地と田畑。国有地部分には柵が張り巡らされているが、柵の一部が開放され、付近の住民?がゴルフ練習場を造り、プレイしていた。入ってもさほど問題はなかろう、ということで、ゴルフ練習者に混じって写真撮影することにした。

【掩体壕?A】

馬蹄形土盛りの一部かもしれないと思わせる形。「印西町の歴史」では掩体壕として認定されていない。が、形状からいうと、掩体壕の可能性もあるのでは?ということで、写真を撮っておいた。

こういうことがあるので、土を盛り上げただけの無蓋掩体壕探しはコンクリ製の有蓋掩体壕探しよりも難しい。

【掩体壕8】

近くまで住宅が迫り、掩体壕の半分が壊されてしまっている。
掩体壕の手前に見えている棒杭と旗は私設ゴルフ練習場のもの。

【掩体壕7】

藪に覆われ、視認できず。ヤブコギが面倒くさそうなので、近寄らなかった。

【掩体壕4】

畑のへりに沿って移動。竹藪の中の通路を抜けると、竹藪の中に土盛り。「印西町の歴史」の地図が無ければ、これが掩体壕だとはわからないところだった。

【掩体壕5】

こんな道を歩いていくと、
右手の竹藪の中にまた土盛り。これが掩体壕のなれの果てらしい。

藪の中の掩体壕(土手)の画像は撮りにくい。

【掩体壕6】

私設ゴルフ練習場の端、草が刈られた場所の掩体壕。わかりやすい馬蹄形である。

左端に取り付き、登ってみた。
お鉢巡り可能。展望は上々。

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→掩体壕の地図