旧双葉町・金山神社のお祭り(2)

チンマン以外に小さなパーツを大量生産している人がいた。

これはただ食べるためだけに作られているものだった。

部屋の反対側の隅では、版画の要領で金山神社のお札が大量生産されていた。その隣では幟や祝詞製造中。

チンマンはセットにしてポリ袋に入れられ、包装紙で包まれ、お札とお守りが輪ゴムでとめられる。

祭りの後でこれが客にタダで配られた。

こちらは神様へのお供え物。
準備が一段落して、関係者は長机でまったり。

木の珍子が隅に引き上げられたので、赤い帽子を取って観察したら、袋を背負った大黒様が彫られていた。金玉部分が米俵。袋部分(珍の背後)には「武蔵之国 金山神社」と書かれていた。「武蔵之国金山神社」って、川崎の金山神社のことか?

Keiさんから情報を頂きました。

木の珍子は川崎市の金山神社の氏子の方が祭典を見学に来られた時に持参された物で、以来オブックを作成する際の見本として傍らに置かれているもの」。「いつ頃からかについては不明ですが、現在76歳の氏子の方がオブック作りを始めた頃には存在していた」そうです。

関係者の方々は忙しそうだったので、あまり質問もできなかったが、いくつか情報を入手することができた。

○昔はこのお祭り、朝の6時頃から準備を始めていたが、寒いので、だんだん遅くなってこの時間になった。(ちなみに、この日、甲府盆地の最低気温は−6度)

○「昔は小林姓の人を中心に祭りが行われていた」とネット上には書かれていたが、現在ではそういうわけではないらしい。ちなみに、公民館内に貼られていた集落の役職名簿を見たら、小林姓の人はほんの一部だった。
★Keiさんから情報を頂きました。
金剛地公民館でおぶっく作りの作業が行われるようになったのは15年ほど前からだそうです。それまでは小林組の当番の家で行われていたそうです。
また、氏子さんと宮司さんに確認したところ、金山神社祭典は金剛地地区の祭ではなく、「小林組」(小林姓の一族)の祭だそうで、現在でも小林姓の方々が中心で祭典は行われているとのことでした。小林組は現在13軒で、うち小林姓は10軒。他の3軒は小林姓ではないが、諸事情により他姓になったただけで、小林一族(親類)だそうです。

→続きはここをクリック

→「旧双葉町・金山神社のお祭り(1)」に戻る