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旧日立航空機大網地下工場跡(1) |
大網の日立航空機大網地下工場は、千葉市内にあった日立航空機千葉工場を疎開させるために掘られた壕群だそうだ。移転計画が立てられたのは44年12月。この壕は日立、海軍飯塚部隊、大林組の他、地元住民や多くの朝鮮人労働者を動員して作られたとのこと。計画が半分も進まないうちに終戦を迎え、この壕で飛行機が生産されることはなかった。
「千葉県の戦争遺跡をあるく」には「JR大網駅から北北東に1.5キロ」と書かれているが、詳細な場所は載っていない。とりあえず、地図を確認しながら大網中学の方向に向かって走った。路肩で地図を見ていたら、カブに乗った親切なおじさんが「何かお困りですか?」そこで、事情を話したところ、おじさん「宮谷八幡神社(地図)の周辺だ」「神社境内にも壕があるけれど」と言い、神社への行き方を教えて下さった。喜んで走っていったら神社は見つかったが、神社の前に、私の持っている10年くらい前の地図には載っていない立派な道が・・・新しい地図買わなきゃダメね(^_^;)
神社の境内に、山に切れ込んだ場所がある。坑道図と照合すると、これが壕の跡のようだ。 |
| 神社内にこの他の手がかりはなさそうなので、北側の民家を覗いてみた。そうしたら、庭で高齢女性が二名、孫?と遊んでいた。私が事情を話したら、「うちの裏にも壕があるが、まず、市の看板の建っている穴(地図)に連れて行ってあげる」m(_ _)mということで、そのうちの一人の女性が、子供を連れて、私を看板の建っている壕に案内して下さった。 |
その壕の場所は神社の南側。この砂利道を入る。 |
壕は柵で封鎖されており、 |
覗いてみると、穴の中に水がたまってプールになっていた。
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なぜか壕の中に花束が落ちていた。後できいた話だが、最近、見学にやってきた韓国人?の方々が供えたもののようだ。 |
| 穴の前の看板には、
○工場には地下式のものと半地下式のものがあったこと。 とのこと。 |
92年調査の、壕の地図が掲載されていた。これによると、この付近の山のあちこちに壕が掘られていたようだ。 |
その地図に書かれていた看板壕のすぐ南側の二本の壕を覗いてみた。 |
片方の穴は前が湿地になっていて近づけなかった。 |
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もう片方の穴は水没が確認できた。 |
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