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ミュージアム詩音真(3) |
奥の大部屋に入ると、油絵の具臭い〜。ここが三瓶氏の作品の展示室だった。いたるところに大きな映画看板が掲げられていた。 |
50〜60年代の作品が多いようだ。このジャンル、あまり詳しくないので、突っ込み入れられないのよね、と言いながら、看板見物。 |
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前半は日本映画の看板だったが、後半は外国映画の看板。というか、外国映画の比率の方が高かった。 |
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後でお伺いしたら、三瓶氏は外国映画の方が好きで、仕事の方でも最初は日本映画の看板を描いたが、末期は外国映画ばかり描いていたそうだ。そうしたら、美術館を見に来た人に「裕次郎が無いぞ」「高倉健も描いて下さい」等リクエストされて、日本映画ネタも何枚か描いたそうだ。これから寅さん描こうかな、とおっしゃっていた。 |
有名な映画なのだろうか?タイトルすら聞いたことがないのだが。
検索したら、1959年のソ連映画だ、とのこと。10000件以上ヒットする有名な作品だった。 |
絵のタッチはダイナミックで見る価値があったが、肝心の映画の内容について、よく知らないので、早々に出てきてしまった。三瓶氏に「迫力があってよかったです」と言ったら、喜んで、お茶とミカンを出して下さった。「ここの教室は暖かいでしょ?」ということで、しばらく三瓶氏と雑談しながらまったり。
三瓶氏から美術館を作るまでの経緯等について伺った。
○三瓶氏は昭和10年代後半の生まれ。
○中学出て、看板師に入門し、看板描きの勉強を始めた。美術学校には行っていない。
○50年代〜70年代前半まで映画の看板を描いていた。エクソシスト(73年)を最後の頃に描いた記憶がある。その後、映画看板はコンピューター印刷が中心になり、仕事がなくなった。
○看板師なので、郡山市の映画館は顔パス。1日に二本立て4軒くらいをハシゴすると、映画のストーリーが頭の中でごちゃごちゃになり、何が何だかわからなくなった。
○奇木アートは、生け花の先生の仕事を手伝ったのがきっかけで始めた。その先生は、前衛的生け花をやっており、最初見た時ショックを受けた。
○ここで市から委託されて、絵画教室を開いている。小学生に教えることもある。
松ぼっくりに着色し始めたのは、これを有料で売っているのを見てから。そんなの買わなくても自分で作れるよ、ということで、松ぼっくりを取ってきて着色。 |
桜の木で作ったイーゼルも好評。大きいのや小さいのがあり、小さいのは写真立てとしてよく買っていく人がいる。 |
その他、三瓶氏は、魚の剥製なども作っているご様子だった。 |
専門の学校に行かず、独自のアート世界を作っている人は、何でも自分でやってしまうので、守備範囲が広い印象だが、三瓶氏もそのようだ。
他のお客さん(常連客)が来たので、三瓶氏と別れて、また企画展示室へ。
今度は新聞社が1968年に出版した「日本の戦歴」という本に目を通すことにした。中国への出兵から、呉港内で沈没した軍艦、空襲で焼け野原になった日本の写真まで、白黒ながら貴重な写真が満載だった。
最後のページに三瓶氏のメモ(戦争に関するコメント)が入っていた。三瓶氏は戦争で悲惨な体験をされたのか? 三瓶氏がご親切にもコーヒーを入れて持ってきて下さったので、質問したら、終戦時は3歳だったとのこと。郡山市は空襲を受けたが、三瓶氏の住んでいたところは田舎だったので空襲無し。その後の食糧難、品不足は酷かった。やっぱり戦争はやっちゃダメだ、というのが結論だとのこと。 |
この美術館は雰囲気よかったし、展示替えもやるみたいなので、機会があったら再訪したいと思った。
●ミュージアム詩音真
福島県平田村下蓬田字乙空釜75/乙空釜分校跡、0247-55-3663。
9:30〜17:00 水・木休館。入場料750円。
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