|
豊橋の戦争遺跡パート2(1) |
06年5月に豊橋の戦跡巡りツアーに参加したが、その時に私を誘って下さった豊橋の友人に、豊川・豊橋の戦争遺跡を案内していただけることになった。
★この日に行った豊川の戦争遺跡巡りレポはこちら
【二川トーチカの北側の山の陣地】(地図)
岩屋山の東側の山(二川トーチカの北側の山)に、本土決戦に備えた陣地が残っている。友人は、昨秋行われた伊藤厚史氏の見学会に参加したので、その時もらった地図を参考に案内して下さる、とのことだった。 |
![]()
「二川自然遊歩道」から多くの遊歩道が分岐しており、その周囲が戦争遺跡だらけなのだ。 |
崩壊した壕の跡。 |
![]()
掘削した溝の奥に壕。入り口は封鎖されていた。 |
![]() ![]() こちらも溝の奥に壕。こちらも封鎖。もっとも、封鎖がなくても、崩れているものが多く、侵入は困難。 壕の口は西側に開いているものもあるようだが、北側に開いているものが多かった。友人の話では、西側に開いた壕には大砲が入れられており、旧東海道の火打坂方面を通る敵を狙っていた、とのことだった。 大砲の入れられていた壕は、射角を取るため、入り口がラッパ状に開いているのが特徴だそうだ。友人は、伊藤氏の見学会で配られた地図を見ていたが、いまいち現在位置がわからず、あれ?あれ?という状態だった。ということで、どれが大砲用の壕かわからなかった。混乱した原因は伊藤氏の地図に等高線と壕の場所のみ書かれていて、遊歩道が抜けているせいだった。 |
遺構の中には意図的に枝で埋められているものがいくつかあった。
危険防止のために管理している人(団体?)がいるようだ。 |
封鎖された壕の入り口には、こんなふうに番号札がつけられていた。
誰がつけたのだ?豊橋市役所? |
![]()