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豊川の戦争遺跡(1) |
06年5月に豊橋の戦跡巡りツアーに参加したが、その時に私を誘って下さった豊橋の友人に、豊川・豊橋の戦争遺跡を案内していただけることになった。
「平和・追悼のしるべ 豊川海軍工廠跡・戦没者の碑 ガイドマップ」(豊川市立図書館所蔵、平成10年、豊川市企画部文化振興室)を参考にしながら、豊川の戦争遺跡を回った。
このページ(「殉國之碑/祖国日本(ふるさとにっぽん)」内)によると、
昭和14年12月に開庁された豊川海軍工廠は、昭和18年には60000人規模の工場となった。これに伴い、豊川市の人口も昭和15年の30000人から、昭和19年には92000人になった。「機銃生産に関しては日本最大の規模で、他に弾薬、光学機器、指揮兵器等が作られ、規模・生産システムともに東洋一の武器工場と言われていた」とのこと。
昭和20年8月7日、豊川海軍工廠は米軍の大規模な空襲を受け、2700人近い方が亡くなられた。
豊川海軍工廠の跡地は、現在、日本車輌製造株式会社、自衛隊、名古屋大学太陽地球環境研究所の敷地になっている。
【日本車輌正門前】(地図)
日本車輌正門は海軍工廠時代のものの転用だそうだ。
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付近に展示されたSLとモノレール。この二つは戦争とは無関係。モノレールの方は上野動物園にあるのと同型の、純国産のものだそうだ。 |
【日本車輌前の慰霊碑群】(地図)
この慰霊碑群は豊川市運動公園の一角にある。
平和の像(画像、昭和40年建立)を中心に、豊川青年会議所の碑、高岡市高岡ライオンズクラブ、海軍教官記念樹の碑、韓国人犠牲者慰霊実行委員会の植樹など慰霊碑が多数建立されていた。 |
かなざわの松は、金沢市の卯辰山公園に女子挺身隊を慰霊する殉難おとめの像(「殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像」)があることに由来しているそうだ。石川県からの女子挺身隊52名が海軍工廠の空襲で亡くなられているとのこと。 |
【自衛隊敷地内】(地図)
自衛隊の建物の中に、海軍工廠の光学部庁舎が残っているということで見に行った。地図上に示された場所には鉄筋コンクリート二階建ての建物があったが、やたら新しい感じ。この建物が本当に海軍工廠の建物なのかどうかは不明。 |
【日本車輌専用線】(地図)
戦時中は西豊川駅と豊川駅を結んでいた飯田線の支線だったそうだ。 |
上の画像にも写っているが、引き込み線には、門柱と思われるものの残骸があり、興味深かった。 |
専用線の踏切。 |
![]() ![]() 踏切から左右を見る。右画像のゲートの向こうは日本車輌構内。 |
西豊川駅跡地は日本車輌の所有地とマンション敷地になっていた。日本車輌敷地内には資材などがたくさん積まれているのが見えた。
画像はマンションの駐車場。 |
踏切脇の日本車輌の堀も、海軍工廠時代からのものだそうだ。 |
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