習志野・船橋の戦争遺跡(6)

【習志野霊園】地図

船橋市にあるのに習志野霊園。かつての軍人墓地だ。
敗戦後、習志野の開拓に入った人たちが自分たちの墓地にした後、船橋市が整備して市営霊園にした(「千葉県の戦争遺跡をあるく」)そうだ。

墓地の片隅に、軍人墓地の墓石がまとめられており、中央に日本軍人戦没者慰霊の碑、

ソ連軍人戦没者慰霊の碑

★「ソ連軍人」は日露戦争の時の捕虜なので、「ロシア軍人」の誤りである。

ドイツ人戦没者慰霊の碑が並んでいた。こちらは第一次世界大戦時のもの。
周囲に玉垣状態で並べられた軍人の墓石。
少し離れた場所に「陸軍騎兵学校厩軍属之墓」碑があった。
墓地の隣は自衛隊基地。第一空挺団というパラシュート部隊が駐屯しているそうだ。建物の上からパラシュート降下用の訓練塔が顔を出していた。

【自衛隊基地内に残る旧日本軍の建物】

空挺館(旧御馬見所)。他にもまだありそうだ。

【東部軍教育隊の裏門門柱】地図

東部軍教育隊は、このページ「千葉県の戦争遺跡」内)によると、昭和18年創立の、下士官や幹部候補生の教育を行うための学校だったそうだ。

T字路、和菓子屋さんの角に無骨なコンクリ門柱が一本残っていた。

習志野駅の近くなので、交通量が多く、撮影が大変だった。

【明治天皇の碑】地図

船橋市郷土資料館(千葉県船橋市薬円台4-25-19)の駐車場隅に、明治6年、天皇陛下が軍の演習をご覧になったことを記念する碑が移設されている。

ちなみに、この演習前は、この土地は黄金原、大和田原と呼ばれており、皇居に帰られた後、天皇陛下がここに「習志野ノ原」という名前をつけたそうだ。

碑の隣にD51が置かれていた。

今日のこの時間は公開日なので、運転席に係の男性が乗っていた。男性はSLの運転手ではなかったが、元・鉄道会社の運転士をしていた方で、D51についていろいろ説明してくださった。面白かった。

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