千葉市の戦争遺跡(2)

【千葉公園】地図

千葉公園鉄道第一連隊の演習場だった。鉄道連隊は、戦地での軽便鉄道の敷設、列車運転を行う部隊である。公園敷地内にはいくつかの史跡が残されている。

●千葉市の鉄道第一連隊の歴史

明治28年(1895年) 日清戦争に伴い、臨時鉄道隊編成。
明治29年(1896年) 鉄道大隊として常設。
明治40年(1907年) 鉄道大隊が鉄道連隊に昇格★★。中野から千葉県千葉郡津田沼町に転営。
明治41年(1908年) 千葉町椿森に転営。
大正7年(1918年) 鉄道連隊増強。従来の千葉市にあった連隊を第一連隊、津田沼にあった第三大隊を基幹として第二連隊が発足された。

★★連隊に昇格した年は、ウイキペディア、千葉工業大学前の看板では明治40年、千葉公園の看板では明治41年になっている。

丘の上の「荒木山の由来」碑

当時、この小高い丘は連隊のラッパ手の訓練場であり、「喇叭山」と呼ばれて親しまれてきたが、殉職した荒木大尉の銅像が建立されてから「荒木山」と呼ばれるようになった。その後、物資窮乏の時代に銅像は消えてしまったが、山の名前は残っている、とのこと。

丘の上と下に橋脚二個発見。鉄道連隊が訓練に使ったものだ。

下の橋脚は高さ約5m、上の橋脚は高さ50センチくらい。当時は広場を挟んだ反対側にも橋脚があった筈。捜してみたが、そちらの橋脚は残っていなかった。

千葉公園駅前にある千葉市中央稲毛緑地公園事務所に立ち寄り、警備員さんに、事務所敷地内にあるトンネルの写真を撮ってもいいか?と訊いてみた。OKとのこと。おまけに、千葉の史跡巡りのパンフまで頂いてしまったm(_ _)m

トンネルは鉄道連隊が訓練に使ったもの。長さ5mくらいのコンクリ製。上部に斧とレールを組み合わせた鉄道連隊のマークが入っていた。昭和6年の年号入り。天井部分が雨よけになるので、中に洗濯物が干されていた。

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