千葉市の戦争遺跡(4)

次は佐草部町。この界隈も陸軍歩兵学校、気球連隊など、軍の土地だった。

「千葉県の戦争遺跡をあるく」によると、昭和2年、所沢の気球隊がここに移ってきたそうだ。気球隊の軍事上の役割は偵察、砲撃のさいの誘導など。1937年の中国戦線、1939年のノモンハン事件にも参加したとのこと。また、風船爆弾の製作にもかかわったそうだ(関連;北茨城の風船基地跡レポート)。

【千葉県計量検定所】地図

このページ「千葉県の文化財」内)によると、この倉庫が気球連隊の施設の転用らしい。隣にある大きな倉庫はどうなのだろうか?聞き込みしたかったが、この日は日曜日だったので、ひとけがなく、聞き込みできなかった。

【川光倉庫の気球格納格納庫】地図

作草部神社近くの細い道路沿いには無骨な塀が続いていた。軍の作った塀らしい。

塀に沿って歩いていたら、鯨の背中のような巨大な建物が!これが気球連隊の建物。
屋根は丸く、頂部の尖っている独特な形だ。
川光倉庫正門側からの画像。

【川光倉庫の近くの陸軍の境界標】地図

信号機のある交差点・中華料理屋の脇。
薄れてはいるが「陸軍」と読める。

【陸軍歩兵学校の碑(平和之礎碑)と門跡】

作草部公園地図)は大正元年に創立された陸軍歩兵学校跡地である。

公園には歩兵学校の碑(平和之礎碑)があった。太平洋戦争末期、空襲を受けて諸施設が焼失したことなどが書かれていた。

この公園の北側敷地も歩兵学校の用地だった。このページ「千葉県の戦争遺跡」内)に書かれている歩兵学校の門跡を捜して写真に納めた(地図)。看板類が無いので知らないとこれが何であるかわからないだろう。

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