夕張見聞記(4)

【大夕張跡地】地図

昭和4年に三菱大夕張炭坑が開鉱。昭和25〜35年頃は約2万人が大夕張に住んでいた。昭和48年炭坑閉山。人口は激減し、平成9年〜10年(1997〜98年)頃、無人になったそう。建物の大半は取り壊され、私がネットで見た記事には小屋と電柱くらいしか残っていないと書かれていた。

大夕張跡地が近づくと、左手に草地が広がるようになった。

電柱の列や「モデル町皆の力で非行追放」「人の子もわが子もみんな社会の子」などの文字が残っている標語塔があったが、小屋の類は見あたらない。

シューパロダム建設のためのセメント工場が旧大夕張地区に作られたため、あたりの様子は数年前からさらに様変わりしているようだ。
まだ手つかずの道を見つけて入ってみたら、道路の両側に電柱が並んでいる他は、かつてここに集落があったという痕跡はなし。
よく見てみると、藪の中に紫色の花がまとまって生えているところがあった。かつての花壇の花の子孫だろうか?
国道沿いに「鹿島小学校跡地→」の看板を見つけて入ってみたら、だだっぴろい草むらの一角に石碑がいくつか建っていた。
閉校記念碑(中学が平成8年に閉校)や、ふる里大夕張の碑(平成9年、画像)だった。この地もシューパロダムの完成で水没するのだろうか?

【南大夕張炭坑殉職者慰霊碑】地図

帰路、立ち寄った場所。

「南部市民体育館」の脇に「南大夕張炭坑殉職者慰霊碑」があった。昭和60年(1985年)5月17日、この近くで起きた三菱の経営する炭鉱爆発事故の慰霊碑である。

ウイキペディアによると事故の犠牲者は62人。5年後の1990年に南大夕張鉱は閉山したそうだ。

なお、この碑はシューパロダム建設に伴う水没予定地区から移設されたものである。

ちなみに、南部市民体育館は、かつては夕張市の持ち物だったが、財政難から民間に払い下げられたそうだ。しかし、メンテナンスの費用を捻出するのも大変な状態だとのこと。

体育館隣に高橋酒店がある。

先ほどの南大夕張駅関連の廃線グッズなどが入手できる店(三菱大夕張鉄道保存会の委託販売)である。

立ち寄ってみたら、典型的な雑貨屋さんだった。お店の中に入ると年配のご婦人が出てきた。店主の山影静子さんだった。三菱鉱業大夕張線に関するグッズを購入したいと告げると、今、一部の商品は切らしているんですが・・・とお話しながら、絵葉書、冊子、CDなどを持って来られた。私は「三菱鉱業 大夕張鉄道」(ネコ・パブリッシング)を購入した。

山影さんは生まれも育ちも夕張だとのことで、夕張の話をいろいろとお伺いすることができた。
○夕張のこのあたりは昔は二股と呼ばれ、明治期から鉱山があった。当時の鉱山の遺構が山の中に残っている。
○その後、地名が二股大夕張と改名。
○さらに、大夕張炭坑の開発とともに、1929年に南大夕張と再度地名が変わった。

○二股と呼ばれていた頃、まだ大夕張ダムはなく、この界隈の渓谷の風景は素晴らしかった。
○林業も盛んだった。成長の早い松などの針葉樹を植え、坑木として使っていた。昭和に入ってから森林鉄道が引かれた。しかし、その後、林業は衰退。林業衰退の一因として、鉱山の衰退→大量に植えられた針葉樹が不要になった、ということが挙げられるのではないか。
○1928年、大夕張の開発が始まり、1930年、大夕張鉱山稼働開始。三菱鉱山鉄道が大夕張まで延長されたのは1929年(昭和4年)。その頃は大夕張に行く車道がなく、列車が不通になると、路線脇を歩いて移動するしかなかった
○当時の三菱鉱山鉄道の切符には「命の保証はしない」と印字されていた。
○現在の国道が大夕張まで通ったのは1961年(昭和36年)(「三菱鉱業大夕張鉄道」では1962年と書かれている)。この路線をバスが走り出したので、鉄道の乗客が減った。
○戦時中、働き手が戦争にとられたので、勤労動員で鉱山の仕事をしたことがある。炭坑の中に入ると、まっくら体験どころではなく、体中粉塵で真っ黒になった。
○夕張の炭坑では強制連行されていた朝鮮人も働かされていた。山影さんの本には、騙されて連れてこられたタコもいた、と書かれていた。線路沿いに逃げてきたタコと出会い、彼を逃がしてあげるために追っ手に嘘をついたことが記されていた。
○夕張はなぜか空襲を受けなかった。

○夕張新鉱事故の時は、清陵町の通洞抗の近くで酒屋をやっていた。だから、あの事故の顛末は一部始終知っている。

○現在の夕張の状況は酷い。観光に関しててこ入れが始まったが、いい要素はない。3150円のぐるっとパスを買わないと石炭の歴史村に入れないのはよくない、単館券を作るべきだ、という点では荒川と意見が一致。

ということで、ぶらっと立ち寄った酒屋さんで大変貴重なお話を聞かせていただくことができた。山影さんも私のことを気に入られ、分厚い自費出版の本「夕張岳よ 永遠に愛を」を私に下さった。オフセット印刷、2006年出版、300ページ近い。コネがなければ、入手不能な冊子である。後で中を見てみたら、夕張新鉱の事故他、自分が夕張で体験したことの他、夕張で砂金の採集をされていた方、助産婦をされていた方などからの聞き取り記だった。聞き取りされた方にはすでに亡くなられた方もいらっしゃるそうだ。

●高橋酒店
夕張市南部新光町55、0123-55-2604

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